「沖縄戦についてのお話をして欲しい」
ご縁があり、そんな会にお呼ばれしている。
故郷の沖縄を離れ、茨城に越してきてから、実はどこかでやりたいと思っていた。なのですごく、すごく、嬉しい。
沖縄戦は、第二次世界大戦の中で、日本唯一の地上戦。
家系図を見たら言葉が出なくなるほど、「戦死」の親族がいる。
しかも女の人や子ども、名前のまだ無い赤ん坊まで。
一般の人がたくさん、巻き込まれたところが、日本本土の戦争の様子と大きく違う点。
そうして色々語り出すと止まらない。そう、言いたいことが多すぎて、止まらないのよ…(^_^;)
何を話そうか、どんなことを伝えたいのか。
色々メモしているうちに、とある校長先生を思い出した。
一緒に働いていた当時、校長先生は50代後半、直接の戦争経験者ではない。
しかし戦後しばらく、沖縄の人は差別を受けていた。
東京では「ウチナーンチュ(沖縄の人)」というだけで、辛い思いをしたそう。
嫌なことがあったらさ、僕はこうあしらって来たんだよー。
先生の話してくれた、ユーモラスなエピソードに、思わず私も口元が緩んだ。
校長先生が大学進学した当時。沖縄はまだ日本じゃなかった。
アメリカの統治下にあり、使うお金もドルだし、車は右側通行。
飛行機で東京に出るのにも、外国扱いということでパスポートが要った。
「お前、沖縄から来たんだろ。日本語話せないんじゃ無いのか」
「沖縄はアメリカなんだろ?英語で喋ってみろよ」
同級生からこんな言われ方をした校長先生は、激怒したそうだ。
あんまりむかついたから、こんなして言ってやったわけさー。
校長先生は私の前で、再現VTRのように喋ってみせてくれた。
「えー、いったー、わじゃーばっかりしてチンダミされるよすぐ。わんや、ちむわさわさーしてるさ、あり!」
訳:あなたたち、いたずらばかりして叱られるよ。私はとても怒っていますよ、こら!
沖縄の方言、ウチナーグチでまくしたてたそうだ。
ウチナーグチは当然分からない、ついでに英語も話せなかった同級生達は、
「ホントに英語を話して来た!」と怯んだそうだ。
それから、あれ達は俺のこと、冷やかさんくなったよ。
ははは、と校長先生は笑った。
面白おかしく話すから、つい私も一緒に笑ってしまったけど、当時はどんな気持ちでいたんだろう。
望んでもいない戦争に巻き込まれたご両親(校長先生の親御さんは、戦争を生き延びて来た)。
そんなご両親を見て育った、校長先生。
基地を押し付けられ、決して楽ではない暮らしを強いられてる上に、
沖縄生まれというだけで差別される。
私なら、怒りで胸がいっぱいになってしまったかも。
校長先生も同じ気持ちになったかも知れない。でも怒りで返そうとしなかった。
知恵を絞り、いじめっ子をぎゃふんと言わせた。
武力を使わず、話し合いで解決する。
遠い昔、沖縄が琉球という、国だった頃の
外交術そのもの。
(校長先生は歴史がご専門。さすがですねと言うと、とっても嬉しそうでしたw)
辛さや憤りを笑いに変えて、なにくそと乗り越えて来た、沖縄の先人達。
そこを故郷に生まれ持った私にも、そんな精神がちょっとはあるだろうか。
一休さんのとんちのように、ムカっとする場面を切り抜けた校長先生。
短気な私も、そのあり方を真似したいもんです。
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