「どうやったら赦すことができる?」と尋ねたかった。ぬちまーすの社長から頂いたメッセージ。

教育

さて本日は、こちらの商品をご紹介。

本文で、これを売りつけるわけではありません…

あの芸能人も買いに来る!「美容の秘訣はコレです」という女優さんもいるという、沖縄を代表するお塩、ぬちまーすでございます。

先日、ぬちまーすの社長に直々で会えて、お話を伺えるという会が沖縄でありました。

2泊3日の弾丸帰省(ワタシの実家は沖縄)。しかも朝から晩までスケジュールはみっちり。子ども達は誰に見てもらおう?

夫、実家の母、ファミリーサポートのボランティアさん。結果的には、ありとあらゆる人に頼りまくって、会に参加することができました。

沖縄行きの飛行機の中で、「おやつを出せー!」と怒る次男を抱っこしながら、「私、ホントに行くことができている…」って、泣きました。

私はそうまでして、ぬちまーす社長の高安正勝さんに会いたかった。

最高なコーディネーター、そして仲間。豊かな旅でした。

15年くらい前に一度、お会いしたことがあったんです。

その時、「次世代を担う子ども達の心身のため」と、うるま市全ての給食センターに、ぬちまーすを寄贈している話を聞きました。ちなみに現在もそれを続けていらっしゃいます。

志に感動したんですよね。だからまたお会いしたかった。

ぬちまーすの製塩法を発明する過程も、ご本人から聞いてみたかった。

普通の塩とは作り方が違っていて、海水のミネラルをそのまま、塩の中に閉じ込めることができるんです。特許も取得していて、ギネスにも認定されています。(YouTubeにもお話が出てます)

ですが、私が一番社長に聞きたいことは

「どうやったら赦せるのか。憎しみを手放せるのか。」

それが知りたくて飛び込んだ、今回の旅だったんだと、後から分かりました。

朝早く、ぬちまーすの工場がある、うるま市の宮城島に到着。講話のために特別に用意されたお部屋へ、私たちは案内されました。

隣にはイートインスペースがあり、ひっきりなしにお客さんがやって来ます。声だけしか聞こえないけど、観光客だな、という話し方に混じって、ウチナー訛りの子どもの声もする。地元の人にも愛される場所なのね。

ぬちまーすのお塩は、こんなに美しい海の水からできてます。敷地内から、この景色も見ることができます。

初めに高安社長の講話、続いてインタビュアーを交えたセッション。

高安社長のヒストリーには、お父様が多大な影響を与えているそうで。

毎夜、晩酌をしながら聞かせてくれた、日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹の話。

戦争に負けて、ボロボロになってしまった日本人も、まだ捨てたものではない。お前にも希望があるよ。

わが子に夢を託して、たくさんの研究者の逸話や物理の話をしてくれたことが、ぬちまーすの開発に繋がっているんだそうです。

最後に質問タイムがありました。わずかな時間しかないので、お二人くらいしか聞けないかも…と、司会者さん。

うわ、どうしようか。モヤモヤしてると、インタビュアーさんが気づいて私を当てて下さいました。

高安社長の講話の一コマ。

「戦争を生き抜いた社長のお父様は、戦中・戦後と、大変な思いをして生きてきたと思います。アメリカはもちろん、日本軍にも、酷い仕打ちを色々受けて来たと思います。

なんというか、沖縄の人の中に多かれ少なかれある、日本への恨みのようなものって、お父様には無かったのでしょうか。

日本人もまだ捨てたもんじゃない、その言葉は、どんな思いで発していたんだと思いますか。」

緊張と、「こんなこと聞いていいんだろうか」という恐れ。なんと尋ねたのか覚えていません。多分こんな感じだったはず。

前向きになれるような質問ではない。だから、聞こうかどうか、どうしようって迷ってました。

沖縄戦のこと、今だに沖縄に横たわる、複雑な現実。沖縄県外の人は、教わってないから知らない、仕方ないって分かってる。

けど湧いて来てしまう、怒りや恨みを、どうにかしたい。自分の現状を打開する、きっかけが欲しかったんです。

社長はあー、なるほどねー、とおっしゃいました。少し考えて、こんな風なことを話してくれました。

「まあ、みんな傷ついたからね。日本も沖縄もないって思ってたんじゃないのかな。内地(県外)にいたから、そこも大変だったのを見てるしね。

生きるのに必死だったのもあるさあね。僕らは7人きょうだいだったし、父は大変だったはずよ。

でも、湯川秀樹に希望を持ったんだね。自分たちの子どもには、まだ未来があるって思ったんだはずよ」

毎晩、晩酌に付き合わされながら!優しい息子さんだったんですねー。インタビュアーさんが相槌を挟んでくださる。

周りの友達は、俺なら家出してるさー!って言ってたけどね、ははは!社長の笑い声に、会場が包まれる。

日本も沖縄もないのか。

ただただ、広い心で、お父様も社長も、目の前の人やモノに向き合って来たのか。

涙でぐしゃぐしゃになりながら、そう思いました。

どんなに銀行に頼んでもお金が借りられない。「そんな発明成功するわけない」と散々人から笑われる。そんな時も人を悪く言うことなく「じゃあどうするか?」と考えた。

社長はそんな話もなさってました。

常に前を向いて、未来のことを考えて。悩む時間がもったいないさー。

モヤモヤした気持ちが全部なくなったわけじゃないけど、手放すヒントをもらえて、気持ちがスーッと軽くなったのが、分かりました。

講話後。感動で泣いた私と、天才発明家、高安社長と。

きっと後々振り返ったら、この旅は人生の転機になっている。

そんな赦しの旅でありました。

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