自分が得意でない分野だから、子どもたちにお願いしていた。私にとってはただそれだけ。
だけど「その発想はなかった!」と大抵言われるエピソードがある。
あなたのおかげで助かったよ
賑やかな教室。そろそろみんなにこちらを向いてもらいたい。
そうしたら、教卓の近くに座っている男の子にお願いをする。
「ごめん!みんなに、静かにして!って言ってもらってもいいかな?」
するとその子は、うん!と首を縦に元気よく振り、みんなに声をかける。
「おーい!先生が話聞けってー!」
みんな、話を止めてこちらを向いてくれる。
(話聞け!とか言ってないけどなー)と可笑しくなり、ちょっと笑った後、改めて私は男の子に礼を言う。
「あー助かった!君のおかげだよ、ありがとう!」
この一連のやり取りが、その発想はなかった!と言われる。ちょっと不思議だったりする。何に驚くんだろう?先生が指示を出すもの、みんなをまとめるもの、って思うからなのかな。
身体が教えてくれた「それ向いてないよ」
私は大声で子どもたちをまとめるのが苦手だ。
やれない事はない。でも、他の先生に比べて効き目がないし、やるとすごく疲れてしまう。
先生になりたての数年間は、とある先輩みたいになりたくて、エネルギッシュに振る舞っていた。
その年受け取っていた子ども達がやんちゃだったのも合間って、若かった私は学年の締め役みたいになっていた。
怒鳴るし、大声を出す。そしたら怖いから子どもたちも言うことを聞く。
だけど次の年、仕事を続けるかどうか迷うほどに体調を崩した。
今思えば、身体がサインを出してくれていたのだと思う。それはあなたには向いてない。このままだと壊れちゃうよ、と教えてくれていたんだ。
続けられる働き方の模索
それを機に働き方を見直した。「元気に仕事を続けていける事」が最優先、そのためにどうしたらいいか?
その中でも全然向いてない「パワーで子どもたちを動かす」方法以外の、学級運営の仕方はとかく必死で考えた。
聞いてもらえるモードになるまで待つ。
声かけしなくても子どもたちが動ける仕組みづくり。
声の大きさ、というよりは聞きやすい話し方。
中でも「大きな声を出さないといけない時に、声の大きな子を頼る」工夫は、実際やり始めるとすごく自分が楽になった。
声を張る分に費やしていたエネルギーが、別なことに使える。
今まで疲弊してしまい、やれなかった事が、私の代わりにメガホンになってくれる子のおかげでやれる。こんな有り難いことはない!と思った。
向いてないことを無理に頑張るよりも
後々学んだ学問の中で、この時取った工夫が私に合っていたことも分かった。
元々、発するエネルギーが低いのだ。た
だから大声で人を集めたり、こちらに注意をひくようなことには向いてない。
おそらく昔憧れていた先生は、元々発するエネルギーも高かったのだ。だから一言で子ども達が話を聞くし、先生の方を向く。多分そんな側面もあったんだ。
あの人の真似を、私ができるはずがなかったのだ。元々持ってるものが違ってるんだから。
向いてない事を無理に頑張るのは、しんどい。
向いている事なら、ちょっと頑張っただけで、ヒョイっとできてしまうのだ。
ならば、あなたの苦手なことは、それが得意な誰かを頼るほうが良い。頼ってもらえたその人もあなたの力になれて嬉しいはずだ。
いろんなことを1人で抱えてしまってしんどいあなたへ、このメッセージが届けばいいなと思う。
一番届けたいのは、頑張りすぎてた昔の自分なのかも。
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