子どもを支援する時に必要なのは、してあげる優しさより見守る覚悟。

教育

やりたいけど一歩が踏み出せない。理想のレベルに届かない現実は、見るのが辛い。

でも動きたい。気持ちだけどんどん焦って、自分にイライラしてくる。

そんな複雑な葛藤を抱えたことはあるだろうか。

私だと、初めてのことにチャレンジする時に、そういうモヤモヤを感じることがある。小学校で出会ってきた子どもたちにも、そんな様子を見ることがよくあった。

周りの人はそんな時、どういうサポートをしてあげようか、どんな声をかけてあげようか、あの子にしてあげられることはないかな?と考えるだろう。実際に手を差し伸べることもあるかも知れない。

でも場合によっては、というか、大方の場合、必要以上のアドバイスやサポートは要らない。一歩目は自分で踏み出せる。葛藤は自分で越えていける。

小学校の先生をしていた頃のこと。ある年出会った女の子は、私に心を開いてくれるまで半年の時間を要した。

4月に初めて会った時から、彼女は私のことを睨みつける。机の上は落書きだらけで、床には彼女のものが乱雑に散らばっている。今思えば、あれは彼女の心のなかそのものだった。

やりたいけど上手くやれない。もっと努力しなさい、量をこなしなさい、頑張りなさいと言われる。

やっぱり私はダメなんだ。隠れたメッセージを敏感に受け取り続けた彼女は、教師のことを、自分を否定してくる敵とみなしていた。勉強なんかしない、私に関わるな、と徹底的に反抗することで、自分の心にバリアを張り続けていた。

彼女から私に話しかけてくれるようになるまでの半年、どんなかかわりをしただろう。彼女と接していくうちに、やりたいけどうまくやれない葛藤を、彼女はずっと抱えてきたんだなと感じるようになった。

彼女が学習に取り組んでくれるようになり、様子を観察しているうちに、漢字の書き取りや音読にちょっとクセがあることに気がついたのだ。クラスの中で学ぶことのほかに、彼女の特徴に合わせた支援や、学習の工夫が必要だろう。

お母さんの理解も得られ、支援学級の先生も関わりながら、国語の時間に別教室へ行き、彼女に合わせた学習の仕方を模索し出した頃のこと。国語の授業で、「地域のことを紹介しよう」という学習が始まった。

食べ物や観光スポットなど、紹介したいテーマを自分で選んでパンフレットを作成する。私のクラスでは、それを他県の小学校に送って見せ合う予定になっていたのもあり、どの子も張り切ってパンフレット作りに取り組んでいた。

彼女はお菓子をテーマにするところまで自分で決め、いくつかの伝統菓子について本を選んでは来た。しかし、必要なことを選び出し、メモする過程で作業が止まっていた。

多分、何をメモしたら良いのか、漢字が書けないけどひらがなにしてもいいのか、などなど、動けない要因があったんだと思う。何度も本を開いては閉じ、はあーとため息をつく。表情も明らかにイラついている。

他の子どもたちはパンフレットの文章づくりに取り組んだり、それが終わって絵を描いたり写真を選んだりする作業に入っていた。自分がみんなに遅れを取ってることも、彼女のイライラの要因となっていた。

彼女はやりたいんだな。でもうまくやれないことだったり、イラつく気持ちをコントロールできなかったり、必死に自分と葛藤してるんだな。そう感じた。

「もしよかったら、これ使ってね。なんかあったら一緒にやるから、言ってね。」そう彼女に言って、私は写真を手渡した。彼女が選んだお菓子の写真を、その場でいくつか印刷したものだ。

うん、と首を縦に動かし、彼女は頷いた。気持ちが落ち着かない中、それでも精一杯、返事をしてくれた方だと思う。

あとは見守ろう。彼女に委ねよう。そう決めて教卓に戻り、他の子が「できたよ!」と持ってきたパンフレットに目を通す作業を再開する。

やがて彼女は険しい顔のまま、鉛筆を走らせ始めた。パンフレット用の画用紙には、私のあげた写真が貼ってある。空いた部分に、お菓子の説明や美味しさを書いていくつもりらしい。

遠巻きに見て、見栄えとしては正直イマイチではある。ノートまとめが得意だったり、絵を描くのが好きな子たちは、パンフレットのデザインの仕方も上手だ。

もちろん彼女もそれを横目に見ている。自分もああしたいのに。その気持ちも、イライラの理由のひとつだ。

それでも作業を放棄せず、理想通りにいかない…って気持ちも抱えつつ、書き進める彼女。最後には、自力でパンフレットを書き切ることができた。

「できたよ!」誇らしげにパンフレットを持ってきた彼女の表情からは、イライラは消えていた。やり切った、そんな達成感に溢れていた彼女に、思わず「がんばったねー!」とハイタッチをした。

サポートの仕方、声のかけ方、「やれること」に支援者は目が向きがちだ。支援者、と書いたけど、先生や児童デイの職員さんに限らず、親もそう。つい心配で、やり過ぎてしまう。

でも実は「やらないこと」の方が大切。そして、難しい。手を出さずに見守ることは、支援する側からすると忍耐力が要る。

見守る覚悟が、何かしてあげることよりも、実は大事なのかも知れない。

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