書くことの効果効能って想像以上かも。自分を変えていき、その文章に触れた誰かを変えていく。
文法としては変だけど
アサガオのつるが、あみどにとどきそうでした。のびのびしていました。
息子の絵日記だ。文法としては変。
でも、のびのび育っていくアサガオのつるの、元気なイメージが伝わる。そう捉えた息子の感性が素敵だなと感動した。
書き出しは「ぼく・わたし」からとか、途中に必ずカギカッコで話したことを入れるように、とか、日記の書き方の枠みたいなものを学校で指導されてきたらしい。お手本みたいなプリントが挟んであった。
これは、なかなか書き出せない子には有効なのかもしれないけど、その枠に入ってないといけない?と押し込めてしまってる一面もあるんじゃないかなと思う。
書きたいけど書けない、自分の壁
書きたいことがなかなか書けない。そんな自分の状態を「自分の壁」と表現している、朝活仲間がいた。
壁のようなものを、私たちは意識的か無意識にかは分からないけど作ってしまっていて。例えば自分の言葉で書くことにしても、こういう形でなければならぬ、みたいなものを、勝手にこしらえているのかも知れない。
書く朝活に参加する前の自分が、そうだった。
最後まで読んでもらえる書き方をしなくちゃ。こんな効果が出るように書かなくちゃ。って壁のようなものを作ってしまって、壊せなくなってしまった。1人じゃどうにもならず、壊すきっかけが欲しくて参加した。
書きたいのに書けない人の内面には、似たようなものがあるのかな?
心を揺さぶられた読書感想文
文章に自分が感じたことを素直に表現していくことで、少しずつ、自分を変えていけるんじゃないか
別な朝活仲間の一言。
素直に表現。自分が変わる。そのフレーズで思い出したのが、ある女の子の読書感想文だ。
本の題名は「しっぱいにかんぱい」
足の速い主人公が運動会のリレーでバトンを落としてしまう。学校を休むほど落ち込む彼女に、おじいちゃんが昔の失敗談を話す。しっぱいは悪いことじゃない。しっぱいにかんぱい、なんだよ。
その一言で彼女は励まされる。しっぱいにかんぱいなんだ。彼女はまた、走り始める。そんなお話だ。
彼女の作文には、自分も全く同じような出来事があった、本を読むまで思い出したくないような嫌なことだったけど、しっぱいにかんぱいなんだ、とびっくりした。私のしっぱいはダメなことじゃなかった。しっぱいにかんぱい、なんだな、良かったなと思えた。
そんな事が書いてあった。
感想文の中に、本を通して彼女が励まされ、癒されていく過程を見た。そこに心が揺り動かされた。
文章に自分が感じたことを素直に表現していくことで、少しずつ、自分を変えていけるんじゃないか。
まさにそう。彼女は本と出会い、感じたことを文章に綴ることで変化したんだ。
私の言葉は届くんだ。私は世界を変えていけるんだ。
「◯ちゃんの感想文に、先生感動したよ。とっても素敵なことが書いてあるから、ぜひみんなにも聞かせたいんだけど、いいかな?」
私は彼女の読書感想文を、彼女にオッケーをもらった上で、クラスのみんなに読んで聞いてもらった。
綴った言葉が、自分以外の人の目に触れる。読んだ人が共感して、面白かった!読んでみたくなった!と反応してくれる。
私や、友達の反応を通して彼女はさらに変わった。
おとなしいというか、我関せず、というか、何がどう決まってもまあいいや、みたいな態度だったのが、自分はこう思う、こうしたら?と、意見を伝えるようになった。
自分の言葉は、届くんだ。自分の言葉で世界が変わるんだ。なんか、それを感じたんじゃないかな。側で見てて思った。
書くことの効果効能って想像以上かも。自分を変えていき、その文章に触れた誰かを変えていく。
一週間の朝活を通して、人生を変えうる道具を、私たちは見つけちゃったんだな。
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