うるさいっ!
うるさいっ!
ははははは!
ヨシタケシンスケ展かもしれないの一角で、小1の長男がりんごを投げながら、奇声を発している。
って書くと語弊がありすぎるね。
「うるさいおとなを(りんごで)だまらせよう!」
パネルの上部にでかでかと描かれた、遊べる展示のコーナー。
大人の口の部分に穴があいていて、そこへりんご型のボールを放り込む。
パクっ!とりんごを食べた大人が黙るのだ。
その大人は始終小言を言っている。
仕事は終わったのか!とか、はみがきまだなの!とか。
多分、「ふまんがあります」という絵本をヒントに作った展示だと思う。
どうしてこどもだけ、はやくねなくちゃいけないの?
どうしておとなが、かってにおふろのじかんを きめちゃうの?
いろんなことに納得のいかない主人公が、おとうさんに疑問をぶつけていく。
おとうさんの答えは、いわば屁理屈なんだけど、ヨシタケシンスケさんっぽいユーモアにあふれている。
たとえば、「どうして ねるまえに おやつをたべちゃいけないの?」と主人公が尋ねる。
おとうさんはこう言う。
「そのほうが ねたあとに ゆめのなかの おかしが おおきくなるらしいんだよ」
同じ屁理屈を言うでも、こんなユーモアを交えて話してあげたい。
あげたいし、屁理屈どころか、早くしなさいとか、宿題やりなさいとか。
私は日頃、口うるさくなっている。分かっている。
そんな私の目の前で、長男はうるさい大人に向かって、ボール型のりんごを懸命に投げている。
大人が3人描かれている。
お父さん、お母さん、仕事場の上司風のおじさん。
その中のお母さんめがけて、長男はりんごをぶつけている。
たまたま他にも人がいて、その場所が空いていた。
一番の理由はそれだと思う。というか、思いたかった。
ぐちぐち言ってくるパネルのお母さんが、私に見えて仕方なかったからだ。
彼はやっぱり思ってるんだな。お母さんうるさい!って。
ほわんと間の抜けた、かわいらしいお母さんのイラストが、次々と普段の私の口癖を映し出す。
はやくオフロにはいって!
もたもたしないで!
しゅくだいやったの!
なんかいもいわせないで!
ヨシタケシンスケさんのイラストが言うから、イライラ感やうるさい感じが軽減される。
これ、このパネルに自分のお母さんが表示されてたら、一気に場がダークな感じになるよね。
イラストのチカラってすごいなぁ。
なんて若干気を紛らわせながら、お母さんの口めがけて、必死にりんごを放り込む長男を眺める。
スッキリしたのか。「はー面白かった」とニコニコ顔で、彼が戻って来た。
「面白かったねー」とだけ、私は答える。
あれ、お母さんみたいだったね
いつも言われてどんな気持ちなの?
余計なことを聞きそうになるのが嫌だった。
そんなモヤモヤをよそに、長男はベラベラと話し出す。
「あのさ、りんごが口に入ったらさ、んっ!美味しい〜とか言うんだよ!変だよねー!ははは!」
つられて私も笑う。
「あはは!そうだね、変な顔して、おいしい…♡とか言ってたね!」
そうなんだ。結局私は長男に救われている。
どんなことを言っても、言ってしまっても。
笑って許してくれる、心の優しいこの子に。
じわん、と涙が出そうになる。
ごめんね。
いつもありがとう。
…とセンチメンタルな気持ちになったのもわずかな時間で(これ反省してないってことかな)。
「ヨシタケシンスケ展かもしれない」の、他の体験コーナーで、私たちは遊びまくった。
「じごくへようこそ」と描かれた、トゲトゲの椅子で、お尻が痛いー!と叫んだり
全国のなつみさんが喜んだ(はず)、「なつみはなんにでもなれる」のパントマイムコーナーで当てっこをしたり
顔が「りんごかもしれない」になっちゃうタブレットの前では、何度も変な顔(りんご)になって笑った。
子どもたちが生まれなければ、ここに来ることなかったし、ヨシタケシンスケにも出会わなかったろう。
ありがとうね。
いろんな体験を、私にさせてくれてありがとう。
お小言、減らします。…いや減らしますって言っても減らないのは知ってるけど。
ヨシタケシンスケさんのユーモアを、爪の垢レベルでいいから、生活に取り入れます。
ヨシタケシンスケ展かもしれない、シリーズはこれでおしまい。
かもしれない。
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