奇才だな。
帯ただしいメモの数を見て、浮かんだ言葉。
もちろん天才だ。
すごい人だと思う。
でもここは敢えて愛情を込めて、奇跡の才能=奇才、と呼ばせていただきます。
稀代の天才たちは総じてメモ魔だ。
モーツァルトはアイデアが浮かんだら、飛び起きてピアノに向かったと言うし
ベートーベンは枕元にメモ帳を必ず置いていたと言う。
絵本作家、ヨシタケシンスケもそこに並んじゃうんじゃないか。
宇都宮美術館で開かれている「ヨシタケシンスケ展かもしれない」を観に行った。
生活の中でふと思いついたこと、出会った変なヒト。ヨシタケシンスケさんはそれらをイラストと共にメモに残す。
このメモが無くなったら、絵本はもう描けない。
そのくらい、ヨシタケシンスケさんの創作活動の根幹となっているメモ。
今回の展示会では、そのメモの一部(これで一部!)が実物大で展示されていた。
まるでカーテンのように、天井まで張り巡らされた、メモメモメモ…
撮影して良いとのことだったので、一枚パチリ。
最新のiPhoneのひと回り大きいかな?くらいの紙に、とても小さな字と絵でメモが書かれている。
この小ささはヨシタケシンスケさんにとっては、いい具合なんだそうだ。
メモの一端だけでは、どんなシチュエーションだったのか分からないものばかり。
でもご本人にとっては分かるものだったり、どこかであの絵本のヒントになるエピソードだったのかも知れない。
私みたいに妄想しながら楽しんでいたんだろう。
メモカーテンの前には結構な数の大人がいた。
ひとつひとつ、を見るには数が多すぎるんだけど、それぞれ目に留まったメモを指差しながら笑いあったりしていた。
別なスペースには、絵本を作った際の構想メモが飾られていた。
あの絵本の、あのフレーズを出すのに、これだけのメモをしてたのか!
そうだよね。
プロの野球選手だって、3割打てたら賞賛される。
あとの7割は打てなかった分。
そう考えたら、ひとつ失敗したくらいで落ち込むとか、今日はいい記事書けなかったって凹むとか、勿体ない時間過ごしてるな。
なんて思った。
写真に撮れなかったので書いて説明しますが、ひとつのテーマで、ヨシタケシンスケさんはバーーっとシチュエーションを書き出していた。
例えば「あつかったらぬげばいい」という絵本の構想メモには
- やりたかったら やればいい
- しっぱいしたら やめればいい
- ねむたかったら ねればいい
- だいじなひとがなくなったら たっぷり
しばらくかなしんでから、べつのだいじなものをみつければいい
思いついて書いて、後から別な言葉と差し替えたであろう表記もあった。
そうそう、思いついて書いてる時って、字間違いとか、ちょっと汚いスラングみたいな言葉とか、書いてるよねー。
そのまま見せられないよねー。
メモだから、展覧会でもしない限り人に見せないし。
いいんだよねそれで。
展覧会のパンフレットに、こんなことが書かれていた。
「ヨシタケシンスケの頭の中を見てもらおう。それが面白いだろうと。
そんな展示にしてあります。」
大人も子どもも楽しかったけど、大人にはまさに、アイデアの出し方の勉強になっただろう。
日常の切り取り方も、参考になった。
なんでこうなんだろう。
小さな気づきを深掘りする目線。
さくらももこさんも、そうだな。
私たちのモヤっと、ぼんやりを掬い上げてくれて、そうそうそれ!って分かりやすく見せてくれる。
ヨシタケシンスケ展かもしれない。
まだまだ続きが書ける。かもしれない。
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