人のふり見て我がフリ直せ、なんて言葉がある。
そう、子どもの振りを見て、我がフリを見直すことって多い。
子どもたちは意識していないかもだけど、その言葉や行動は、親の私たちそのものだったりして、すごく恥ずかしくなる。
小学校の先生をしていた頃、子どもの何気ない仕草や言動に、家庭の様子を垣間見ることがあった。
給食の時間なんかは分かりやすい。ぶっきらぼうでヤンチャな男の子が、ご飯粒を一つも残さずキレイに食べている様を見るとキュンとした。きっと親御さんも食事のマナーを大切にしていて、そこから学んだり、教えられたりしてるんだろうな。
その逆もある。結構可愛らしい女の子が「はごさぬー(沖縄の方言のスラングみたいなもので、汚いという意味)」と言いながら手をシッシッと振り払う仕草をしてて、あらあら、おうちでは結構荒い言葉が飛び交ってるのかなと想像してみたり。
息子たちを見て、あれはワタシだ…って愕然としたことも、多々ある。
先日オンラインのお話会で「疲れた」という言葉について話題になった。「疲れた」という言葉には「取り憑かれる」という言霊が宿っている、そんな話だった。
恥ずかしくてその場で言えなかったが、うちの次男は「ちかれたー」としょっちゅう呟く。もちろんその言葉をいうきっかけになったのは、私。
言い訳の一つくらい許して欲しい。本当に疲れていたのだ。沖縄から茨城に引っ越して、ようやくワンシーズンを越えた。次男もおっぱいを卒業し、心身の負担が少しずつ軽くなったとはいえ、4月からは長男が小学一年生。生活リズムがガラッと変わったり、窮屈な制服なんて着たくない!と毎朝ごねる彼とのバトル、加えて夫の帰りはいっつも寝る前ギリギリ。疲れていたのよ、本当に。
そして気がついたら、次男が「ちかれたー」と呟くようになっていた。言葉を発するシチュエーションも完璧なのだ。ちょっと歩いたら「ちかれたー」、階段を上り切った後に「はーちかれたー」、駅のホームでこれをやられた時には、周りのおばちゃんがくすくす笑っていた。これはまずい。どうしよう。
ふと、長男と次男が好きなアニメ「パウ・パトロール」を思い出した。特別なワンちゃんたちが、街の困ったことをレスキューしていくのだが、その街の市長さんがニワトリを飼っている。名前がチカレッタ。それを使うことにした。
「ちかれたー」と次男がつぶやいたら「え、チカレッタ?こけこっこ〜」と返す。次男はあははーと笑って、コケコッコーと真似をする。なんとなく、疲れたを誤魔化している。近頃あんまり「ちかれた」と言わなくなったのは、効き目があったのかナゾだが、もう少し続けてみようと思っている。
もうひとつ、いずれ息子たちが「恥ずかしい」と思うかもなと懸念している、私の癖がある。クセというか、好きでしょっちゅう観てしまっているから、それが当たり前になってしまっているもの。
アメリカザリガニという芸人さんを知っているだろうか。M-1グランプリがスタートした頃、何度か決勝にも出ている実力派なコンビだ。彼らの所属が松竹芸能だったから「吉本じゃなくてもイケるんだ!」と、当時は騒がれていた。最近テレビでは見かけないが、お二人の好きなアニメやゲームを通したお仕事もやりつつ、漫才ライブも定期的にやっている。
疲れた時、元気になりたい時に、アメリカザリガニのYouTubeをよく観る。キーンと響く高音のツッコミさん、ボエエーな低音ボイスのボケの方。2人が代わりばんこにアニソンを歌う漫才がある。
漫才の後半で、トトロのエンディングテーマの一番をまるまる歌い上げる場面がある。サビの♩トットロ、トートーロ、の後にツッコミさんが観客へ合いの手を催促して、会場みんなでトトロを歌い合う。こんな感じになる。
♩トットロ、トートーロ、はい!(トトロ!)
♩トットロ、トートーロ、みんなが(トトロ!)
あんまりみんなが楽しそうで、私も一緒に合いの手を入れて歌っていたら、長男も次男もそういうもんだと思い込んで、合いの手入りでトトロを歌っている。
いつ頃これが普通じゃないと気づくんだろう。そしていつか、なぜお母さんは変なトトロを教えたんだ!と問い詰められるんだろうか。
その時には、これだよとYouTubeを見せてあげよう。でも内容的には全部観せられないので、トトロの部分だけ。だな。
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