相手に合わせて話せる人は、誰からも愛される。

教育

頭のいい人ほど、簡単なことを難しく喋ろうとする。

小学校で働く友達とお茶をしてる時に、そんな話題が上がって来た。あるよねー、と返事をする。

そういう人は小学生には確実に嫌われる。だって言ってること分かんないだもん。

「でさ、大学の先生なんて、それの代表みたいなもんだよね」友達が言う。

確かになあ…と思いつつ、私は長くお世話になった、ある先生の顔を思い浮かべていた。

小難しい顔をして、小難しいことを訥々と語る教授ばかりの中で、その先生だけは違っていた。

50歳を越えても若々しい雰囲気で、高身長でお腹も出てなくてカッコいい。学生にも、なんなら地域のおばあちゃんにも好かれていた先生は、見た目がカッコよかっただけじゃない。分かりやすく楽しく、話をするのがとても上手かった。

大学2年の春に、先生と初めて出会った。受講した授業は「健康心理学」だった。

教科書に沿って話すでもなく、難しい専門用語を並べ立てるでもなく。先生は実際に出会って来た地域の方や、進めてきた健康教室でのエピソードを、様子が浮かぶような話しぶりで、私たちに聞かせてくれた。

TTM理論、なんて言われてもポカンとしかしない話を、◯市でやったプロジェクトでは、こういうおじいが多かったからねぇと、身近に感じるような伝え方をしてくれた。私も見てみたい、実際に教室で、おじい達と関わってみたい、とワクワクした。

学生の名前も覚えてくれて、授業中によく名前を呼んでくれた。というか、私と先生は母校が同じだったのもあり「野嵩(大昔そんな名前だったらしい)高校の卒業生は…」なんて、よくいじって、可愛がってもらっていた。

教授なんて、なんだかとても偉い人だと思ってたのに。すっかり先生のファンになり、卒論のゼミも先生の研究室一択、毎日先生の部屋に入り浸った。

先生は相手に合わせて話を変えるのがとても上手かった。私たち大学生だけでなく、地域のおじいおばあ、市町村の保健師さん、いろんな人に向けて講座をしていた。

笑いを入れながら、飽きさせないように、でも使う言葉の易しさや具体例などは、場にいる人に合わせて使い分けていた。

先生の研究室に入ってから、地域の健康教室について行った時のこと。

「あらー、先生今日もかっこいいさー」

施設に着くと、まちかんてぃー(お待ちかね)なおばぁ達が先生を取り囲む。

先生が笑いながら、おばぁに話しかける。「あい、◯さん、やーぐまい(家ごもり)してないね、上等さー」

あはは、先生が来るのに、やーぐまいしてられないさー、とおばあたちが大笑い。そんな感じで教室がゆるりと進む。

「おばあたち、体操しに来てるっていうよりも、先生に会うのが楽しみな感じがします」

乗せてもらった車の助手席で、先生に話したことがある。先生はそうねーと呟きながら

「それでもいいんだよ。とにかく外に出て、人に会うだけでも。」

昔は分かるような、分からないような感じだった。今は分かる。おじいおばあが生活にハリを持って過ごすこと、行くのが楽しみな場所があることは、元気に暮らしていくのに大切だ。そこまで見越して、関わり方に工夫をしてたんだな。

先生が大好きだった私は、一緒に行ける場所にはほぼ着いていき、先生の話を聞き、関わり方を横で見ていた。

卒業してから、先生の下で働くことになった時は、先生と2人で市の公民館を回り、健康教室をやることもあった。自分の喋りの下手くそさに自己嫌悪しつつ、私の後に必ず場を沸かせる先生の話術を、ああなりたいと思って眺めていた。

それから5年くらい経った頃、小学校の先生になって、子ども達の前で話すようになった。

なんとなく「これ、先生の話し方に似てるな」と、自分の喋りを聞いてて思う時がある。楽しく話を聞いてもらいたいなーと、自分のうっかりエピソードを持ち出して笑いを取ろうとする時。よく先生はこの技を使っていた。私がそばにいたら、話のオチに私が使われたりした。

そう。私の中に先生のマインドが生きている。人を楽しませて愛される。先生に少し、近づいているかな。

あ、ちなみに先生は元気にご活躍なされています。ややこしい書き方するな!と、怒られそう。いや、怒られたい。もう、お前は仕方ないなーって、笑いながら言われたい。

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