もしも書くことが、発信することが怖くなったなら。
その都度、思い返して、自分自身と確認したいことがある。
人は、自分の見たいように物を見る。
他人がコントロールできるものではない。
自分の書いたものが、知らずに人を傷つけているんじゃないか。
書く朝活を始めてから、幾度か思ったことだ。
子連れで外出は大変だ!みたいなことを書いた。
同じく大変だった経験のある友人に記事が刺さった。
そう。届いたというより、刺さった。
大変だった時の記憶や感情がうわーっと沸いてきて、一瞬気持ちが熱くなってしまって。そんな状態にさせてしまった。
傷つけたわけではなかったけど、自分の書いたことが思わぬパワーを持って、人へ刺さることもあるんだ。
自分の考えを書くことが、ちょっと怖くなった。
別な記事を書いた時。
ヤンキーが悪目立ち(意図的に製作者はそうしたのよね)している、茨城アピールのポスター。
ダサかっこいい事を伝えたかったのだが「ヤンキーはなっちゃんにとって低評価な存在なのかもしれないね」というコメントが届いた。
そういうつもりじゃなかった。
読んだこの人は、気分を悪くしたんだろうか。
傷つけてしまったんだろうか。
また、書くのが怖くなった。
そんな話を、メールで知人に打ち明けた。
彼女はひと通り読んでくれたあと、丁寧な文面でこう返してくれた。
「わざと人を傷つけることは、私もなっちゃんも絶対に書かないし言わないじゃない。
もしかしたら、意図しないところで傷つけちゃってるかなとも思うけど、それって相手の問題でもあるのかな。
受け取りたくなかったら、受け取らないって選択もできるじゃない。
受け取りたかったから、その人も傷つくを選択したのかな、とか。」
少し前に、ママ友で悩んでる朝活仲間の話を聞いた。
そのことが浮かんできた。
「このママには何を話しても、悪口や批判に変換されて、別なママに伝えられちゃうんだよね。
私もだし、周りのお母さんたちも困ってるんだよね」
本当に困っているんだろう。朝活仲間の眉毛が、への字になる。
ふーん。リアルなへの字眉毛なんて、なかなか見ないなぁ。
決して、私はふざけて話を聞いてたわけじゃなく。
答えが見えてて、彼女がどうしたいかが問題だなって思ってて。
まずは彼女に話したい分だけ、話してもらおうとしていたのだ。
距離を置けばいい。
このママとは、始終天気の話をしていればいい。
大事なことなんか、その人に話さなければいい。
私はそう思う。
でも受け取りたいんだな。
困る、悩む、をしたいんだな。
その時はそう思った。
今、私の中に起こっていることも、同じだ。
相手も受け取るを選択した。
私も結局、恐れの気持ちを受け取りたい。
傷つけてしまったんだろうか?と悩みたいのだ。
ただ、それだけだ。
直接会話していても、意図しないことが相手に伝わってしまうことはある。
ミスコミュニケーションというやつだ。
会話は流れていくから、形としては残らない。
これが書き物だと、言葉として残ってしまう。
書いた物を読むタイミングは、人それぞれだ。
誤解があったとしても、すぐに「言いたいのはそれじゃなくて」と補足を入れることはできない。
だから、読んだ人がどう思うのかという、アンコントロールな事への恐怖が増すんだろう。
でも、忘れないでいたい。
人は、自分の見たいように物を見て、自分の受け取りたいように受け取るもの。
どう受け取る?
それとも受け取らない?
選択権はあなたに、そしてワタシにあるんだ。
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