自分の内側から見つかった、好きで、得意で、無理なくできること。

書くこと

好きで、得意で、無理なくできること。これが見つかると強いよね。

昔、そんな話を聞いた。

わたしも見つけようと、ノートを広げて必死に書き込んだ。だけど、3つが上手く重なり合うモノが見つけられなくて「私にはそんなのないんだな」とガッカリして、ノートを放り捨てた。

あの時は探し方が間違ってたんだな。誰かと比べて優ってるところを探そうとしてた。自分の内側に「ある」ものを掘り出そうとしてれば、見つかったかも知れないな。

好きで、得意で、無理なくできること。あなたにはあるだろうか。

「学校の先生だし、やっぱり書くのも上手いよね」

ブログを書き始める前から、「文章が分かりやすい」と、ちょくちょく褒めていただいていた。褒めてもらって嫌な気持ちはしない。嬉しいなぁと思っていた。

ただ、学校の先生だから…と言うのは半分当たりで、半分違うなとも思っていた。

時代や教育の仕組みは、時代によって変わる。だけど、教師のお仕事の基本はやはり、子ども達の年齢や発達段階に合わせ、分かりやすく伝える事。

20代後半で教師になって、年だけ取ってて教師としてのスキルがまるでない。自分に能力がないのを分かってたから、必死で学んだし、努力した。

分かりやすい伝え方だって、いかに無駄な言葉を削るか、どんな順序で話すと子どもたちに伝わりやすいか、自分の喋りを録音して聞き返したりもした。

話すと書くは「伝える」ことにおいてセットみたいなものだから、話すのが上手くなるにつれ、書くこともシンプルになって、「分かりやすいね」と褒めていただくまでに変わった。

また、私は小さい頃から文章を書くことが好きだった。

私が初めて書いたという物語を、母が取り置いてくれていた。4歳くらいに書いたらしい、お姫さまと王子様のお話し。2人の中を引き裂く悪物が「がちみん(沖縄の方言で食いしん坊)ぐんだん」。自分のことながら、なんて可愛い発想力なんだと笑いながら読んだ。

小学校に上がってからも、作文や日記を書くのが好きだった。先生に言われなくても、いくらでも書けた。学芸会の日記を20ページの大作に仕上げ、驚いた先生が「すごいよ!職員室に持ってって、先生達に見せてもいい?」って言ってくれたのが、とっても嬉しかったのを覚えている。

私にとって書くことは好きなこと。おそらく人より得意なこと。

そのあたりは、なんとなく自分も分かってたんだろう。

ただ、「無理なくできる」というところは、最近ようやく、その感覚が分かったところ。

「すごいよねー」と人から言われても、そうかな?くらいの感覚で、自分は無理なくできる。内側から湧いてくるもの。

毎日、コンスタントにブログ記事が書けるようになった頃「ライティングスキルを学びませんか?」という案内を貰った。書くことの技術をもっと高めたい!そんな気持ちでいっぱいだったから、即「やりたいです!」と申し込んだ。

ところがそこで、思ったより自分の記事には、分かりやすさが欠けていた事に気付かされた。もっと自分は上手いはずだと思ってた、若干天狗だった。恥ずかしかったな。

そこから今日まで、3ヶ月くらいになるだろうか。書くことも、それについて学ぶことも、辞めずに続いている。

すごいね、と言って貰えるのは嬉しいことだし、2歳児がいつも側にいる状態で、書く時間や、手直し、読み返す時間の捻出は大変だ。

けど楽しい。無理なくやれている。時間を産み出す工夫は要るけど、無理してるか言われたらそうじゃない。

やっと、私にも、これが好きで、得意で、無理なくできること!って言えるモノが見つかった。見つかった…というか、元々私の内側にあったのを見つけたんだな。

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