「自分らしく生きていると、知らせが届く」
昨晩、仲間と、運気の流れについての復習をしていました。
今年は運がいい!
運が悪い。
そんな括りで「運気」を語りがちだけど
本当は・・・
私たちは「運気」という流れの中にいて。
その流れに、どうのっていくか。
どう乗りこなすか。
そんな感じだと捉えています。
新しい「出会い」の年に向けて、去年は整理整頓をずっとしていた。
そんな友達がいました。
「知らず知らずのうちに、私は運気に沿った動き方をしていたんだね」
「自分らしく動けているから、スッキリしている」
自分がどうかな?って、なかなか客観的に見られないけど
友達のそれは、横から見ていて「ああ、運気の流れに乗っているな」って思っていました。
運気の流れって、農業の作業工程、そのものな感じがしていて。
例えば「おいしいメロンが食べたいなー」って言っていても
メロンの苗を植えていなければ、メロンは育たないし
苗だけ植えて放っておいても、おいしいメロンは育ちません。
収穫を見据えて、剪定したり、間引きしたり、ネットをかけてあげたり。
そうしてようやく、おいしいメロンができます。
そして収穫し終えたら、次の作物を育てるために、一度地面を整地します。
「運気の流れにのる」を、
私はそんな風に解釈しています。
先のお友達は、整地する年に、自然と周りの環境を整えていて
そして迎えた種まき、「出会い」の年を
自分らしく過ごせている。とのことでした。
私はというと、
数年かけて蒔いてきたタネを、育てて、成長させて、愛でて。
それを収穫して「おいしいね」なんて言ってる時期に、差し掛かっています。
これまではずっと、
「メロンの苗を成長させるために」
「いいメロンに育ったね!と喜んでもらうために」と、
少し先を見て、上手く立ち回ったりしてきました。
不思議なんだけど、今は実ったメロンを収穫して、
「いやーよく実ったねー」なんて喜び合いながらも
頭は違うことを考えている、そんな感じがあります。
実をつけてくれて、役目を果たしてくれた大樹を見つめながら
「今年のメロン栽培はうまく行って良かったなあ」
「でも、そろそろ、次の用意を始めないと」
「どんな作物を育てていくか。うーん、悩むなあ」
みたいな。
私たちは、10年周期で運気を見ているのですが
10年前も、
20年前のこの年も、
「次どうしよう」って悩んでる。
「自分らしく生きていると、知らせが届く」
自分らしくって、一見いい響きだけど、
周りから見ると
「なんてワガママな!」「失礼だ!」
そう見えるのかも知れない。
何か、自然と運ばれていくような感覚が、自分の中にあれば。
それは多分「自分らしく」生きてるってこと、なんでしょう。
あなたはどうでしょうか。
運気の流れを知って、流れに乗って動いてますか?
追伸。なんの作物に例えようか考えた結果
茨城が生産量第二位!の
メロンにしました。
なんでもある!けど、一番がない…。
そんなぶきっちょな茨城県が、好きです♡
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