大好きは、人生を救う。
朝活仲間の記事がすごく刺さった。
アトピーが悪化し、好きなパンも我慢かな…と落ち込んでいた時に見つけた、米粉パン。自分で材料を揃えて作るようになり、気づけば周りに配って喜ばれるほどに腕が上がって。
そんな話だった。
これを読んだ時に、遠い昔の記憶が蘇った。
あの子は元気かな。
どんな栄養士さんになっているんだろう。
不思議なご縁で出会った学校
大学を卒業して3年、私は沖縄を出て、栃木県の学校栄養士として働きだした。
当時付き合っていた彼が栃木で働いていて、たまたまハローワークで近辺の学校栄養士の求人が出ていて。
不思議な縁が巡って、彼の住まいから車で30分くらいの中学校で働けることになった。
沖縄から「働きたい!」と電話が来て、遠すぎるから面接なしね!と言われた話や、勤務校がかなりの田舎で通勤に泣くことになる話。色々ネタは尽きないが、こちらはまた、別な折に話させてください。
小さくて、触れ合いのある調理場で
その中学校は、校内に給食の調理場が設置してあった。
自校給食というのだが、最近は少なくなって来ているシステムだ。学校の統廃合や人件費、利便性の観点から、大抵の地域が大量調理の給食センターに移行している。
自校給食だと、学校内で調理しているので、出来立ての温かい給食が食べられる。
調理している匂いは食欲をそそり、給食への興味関心も育む。
食べてくれる子どもの顔も直に見られる。美味しかったー!なんて声をかけてくれる子もいる。自然と調理員さんの働く意欲も上がる。
勤務校の調理場では、施設長1人、調理員3名で、約800食をつくる。
施設が小さいので、私の仕事場は学校の職員室内にあった。
調理場と校舎を行ったり来たり。先生や子ども達との交流もあり、なんなら授業に入らせてもらえたり、すごくありがたい環境だった。
アレルギーでも食を楽しみたい。だから栄養士になりたい
秋口に、2年生が総合学習で「なりたい仕事」について調べていた。
1人の女の子が私のところにやってきた。
栄養士になりたくて、どうやったら資格が取れるか、その先の仕事場にはどのようなものがあるかを知りたいそうだ。
小柄な彼女には、アレルギーがあるらしい。
アレルギーでも食事を楽しめるように。だから栄養士になりたいんだ。
なんて立派なんだろうと感激した。
後から担任の先生が、お礼を言いに来た。
「色々話聞かせてくれてありがとね。彼女、実は、花粉症も大変でね」
春はスギ花粉、秋口はイネ花粉だったか。とにかく1年のうち半分は、マスクをしていないといけない状態らしい。
驚いた。1年の半分、鼻がムズムズするなんて考えられない。私だったら、あんなに明るく笑顔で過ごせない。
身体は小さいのに、心はまるで大人。
そんな彼女とは、私が学校を離れてからも、たまにハガキをやり取りするようになった。
辛い経験をも糧にして進む、心の強さ
学校栄養士を経験してしばらくしたのち、私は沖縄へ帰った。
ここでの経験が、やっぱり小学校で働きたいという想いを強くした。
数年後に採用試験を通り、これから新採用という時。
彼女からハガキが届いた。
大学に合格しました。
管理栄養士目指して、勉強がんばります!
そう書かれていた。
彼女はきっと、大学での勉強も意欲を持って取り組むだろう。
そして、食べたいのに食べられない、そんな悲しい思いをしている人に寄り添うことができる、心の優しい栄養士さんになるんだろう。
自身の辛い経験をも糧にして、進んでいける人には芯がある。
どんな状況になっても、それを力に変えて進んでいける強さがある。
きっと彼女は、どこかでがんばってる。
胸を張って再会できるように、私もがんばろう。
なんなら茨城と栃木だからね。来週にでも運命の再会、しちゃうかもしれないし。
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