昨日の続き。
みんな違ってみんないい、が学校から消えたら、その時は学校が淘汰される時だよ。
まだまだ、やれる事があるよ。
優しいクラスになっていく授業
道徳の授業の時間。
「それでは、心に残ったところ、いいなと思ったところに、好きなだけ線を引いてください」
お話を聞いた後、子ども達が心に残った部分に線を引いている。
あればあるだけ、引いて構わないよと伝えてあるので、どんどん手を動かしている子もいる。
ピピッ。アラームが鳴る。
「そろそろ時間なので、終わった人から机をグループの形にしてください」
子ども達は机を動かし出す。
向かい合ったらダメ、と言われているので、そうならない形に工夫して机を合わせる。
「次に、線を引いたところをグループの1番さんから発表してください。終わったら、他のみんなは聞かせてくれてありがとう、の拍手をお願いします。ではどうぞ」
子ども達が話し出す。線を引いたところを読み上げていくので、すらすらと発表が進む。
手が動いてる子がいる。
隣の子の発表を聞いて、そこいいなと思い、線を引いたみたいだ。
コロナ禍だから特別に、こういう授業をしてたわけではない。
普段からずっと、伝え合う・聞き合うという活動をしていた。どの教科でも。
ただ「向かいあってはいけない」みたいな制限がかかり出したので、工夫してやってはいた。
どんな考えも聞いてくれる。受け入れてくれる。
続けていくうちに安心安全な、優しいクラスになっていく。
だから意見もアイデアもどんどん出てくる。
集まらないで、作品を鑑賞する技
その年の校内研究のテーマが国語で、「伝え合い」だった。
当時の学校は1人一つ、授業を見せることになっていた。
ちょうど、授業を見せようとする時期にコロナに罹る人が増え出して、「集まってはいけない」みたいなルールまで言われ出した。
集まらなければいいんでしょ?
みたいな感じで指導案を書いた。
作文を読み合ったり、図工で仕上げた作品を鑑賞し合う時に、いつもやっていた事。
机の上に、作品とコピー用紙を一枚用意する。
子ども達は自分以外の子の席に行き、その子の作文を読んだり、作品を鑑賞したり。
読んだら感想とサイン(名前)をコピー用紙に書く。
そしたら席を離れ、別な子のところへ…と活動を続ける。
私も一緒に、鉛筆を持って回る。
なかなか一緒にゆっくり読む時間って取れないので、楽しい。
管理職は感嘆していた。
これならコロナ禍でも伝え合い活動ができるねー!
そして、みんなやってるね。参加しない、みたいな子がいないね。
そうだよね。
だって読んでもらって、コメント書いてもらったら嬉しい。
自分も、みんなのところに行って書いてあげたくなっちゃう。
そのうち、友達の作品の面白さや良さ、違いを楽しめるようになる。
コメントが変わったなー、みんな成長してるなー。嬉しくなる。
まだまだやれる事がある。
結局はコロナでも、普段やってる事をいつものようにやっていた。
で、それでよかったんだって事が分かった。
それが私には収穫だった。
みんな違ってみんないい。
国語の教科書にも載っている。
あれなんだよね。
みんな違ってみんないい、が学校から消えたら、その時は学校が淘汰される時だよ。
まだまだ頑張れる。やれる事があるよ。頑張ろう。
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