気持ちが塞いだら、温泉へ行くといい。
すっぽんぽんになろう。
悩んだり、行き詰まってることが、ちっぽけに見える。
私が子どもの頃、30年ほど前は、沖縄には大衆浴場がほとんどなかった。
そもそも湯船が家にないのが普通だった。
だから、みんなですっぽんぽんになってお風呂に入るなんて!
やだ恥ずかしい!
って感覚だった。
修学旅行の時なんて大変だ。
恥ずかしいから誰も服を脱ぎたがらない。
全然お風呂タイムが進まない。
「ほらー!そろそろお風呂の時間が終わっちゃうわよー!」
担当の先生が声を張り上げて、ようやくもぞもぞ脱ぎ出して、ダッシュで大浴場へ入って、周りを見ずに(見るのも見られるのも恥ずかしい)ワシャワシャと身体を洗って…
みたいな感じだった。
同じ日本でも、沖縄と本州は外国みたいに文化が違う。
沖縄生まれ沖縄育ちの私は、頻繁にそう感じるが、お風呂は最たるモノだった。
みんなすっぽんぽん。
恥ずかしくないの?
20代の前半に、2年ほど、栃木県に住んでいた。
県北の方は山も多く、温泉も自宅近くに点在していた。
彼(今の主人)は温泉好きだったので、よく連れてってもらった。
沖縄には全然ない、大衆浴場へ。
温泉のマナー、ちゃんと分かるかなあ。
何より恥ずかしいんだけど、ちゃんと身体洗えるかなあ。
二十歳も過ぎたいい大人だったのに、考えてることが子どもみたい。
彼は隣で苦笑いしていた。
温泉の入り口で彼と別れて、「女湯」と書かれたのれんをくぐる。
日中だったからか、若い人はあまりいない。
おばあちゃんが沢山いた。
そう、おばあちゃんがたくさん。
多分、私は目を見開いて驚いてたと思う。
びろんびろんのおっぱいが、いっぱい、そこにあった。
志村けんさんのコントみたいに、びろんとしたおっぱいをペシっと肩にかけてる人は、さすがにいないけど。
これまで生きて来て、こんな光景見たことない。
沖縄じゃ、自分のおばぁとも、お風呂なんか入らない。
歳を経て変わっていくカラダのカタチ(今、目に飛び込んでるのはおっぱい)が、どういうものかなんて知らない。
シワっとしたお肌は、つまむと薄く伸びそう。
ああ、腰も膝も、少し曲がっている。
だんだん落ち着いて来た。
人、女性のカラダはこうして、カタチを変えていくんだ。
ちょっと神々しささえ感じた。大袈裟かな。
振り返れば、自分のことなのに、女性のカラダがどう変化していくのか知らなかった。
突然毛が生えて来たり、声が変わったり(女性も声変わりがある)。
母は昔の人だから、「せいりって何?」って聞いても「そんなの今知らなくていい!」と教えてくれなかった。
不思議だなあ。
今ワタシは、故郷から遠く離れた温泉の中で、しかも知らないおばぁに囲まれて、女性のカラダを学んでいる。
くびれがない。
おしりがでかい。
おっぱいが小さいとか、垂れてるとか、離れてるとか。
自分のカラダについての悩み事は尽きないし、気軽に人に相談できなかったりする。
知らない人とこうして、まる裸になってお風呂に浸かると、そんな悩みごとがちっこく見える。
いろんなカラダがあるんだな。
そうしてカタチを変えて、自分の人生をカラダのカタチに刻みながら、老いていくんだな。
悩んだり、行き詰まったら、温泉へ行くといい。
すっぽんぽんになろう。
できれば人生の大先輩、おじぃおばぁが沢山いらっしゃる場所がいい。
おじぃおばぁの人生が刻まれた、しわしわの尊い肌を見ていたら、自分のウジウジ、いじいじしてることが、ちっぽけに見える。
くれぐれもガン見し過ぎて、怒られないようにね。
茨城は平地だから、あんまり温泉ないんだよな。
すっぽんぽんになれる場所、探しに行こう。
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