おかげさまで。
この言葉が浮かぶ時、あなたの頭にはどんなエピソード、どんな人が浮かぶんだろうか。
私もいくつか思い浮かべてみた。
私の場合。
しんどかったエピソードや厳しい人との出会いばかりが思い出される。
成功体験より、失敗が人を成長させるっていう。
私の人生において、それは当たってるなと思う。
あの人のおかげで成長した。あの人のおかげで、やりたい事に踏み出す勇気が持てた。
大学卒業してすぐの年。ゼミの教授のツテで、市役所の臨時職員として働くことになった。
一時期「メタボ健診」と呼ばれていた、特定健診・保健指導。
これからその制度が始まる、という時のモニター事業を進めるチームで、栄養士として働かせてもらえることになったのだ。
そこにはゼミの先輩もいた。彼女も栄養士。大学院まで進学し、その後もゼミの教授の下で仕事を手伝っていた、とても力のある人。
先輩がいるなら大丈夫だ、よかったー。
先輩におんぶに抱っこな気持ちで、社会人一年目が始まった。
ショートカットで細身で、小柄な先輩。
見た目も服装もすごくかわいい。
だけど一緒に働いてみてびっくり。
中身は鬼軍曹だった。
机の整理整頓がなってない!と叱られたことがあった。
私のいない間に書類を探そうとしたらしい。
だけど引き出しがあまりに雑然としていて、見つかりはしたけどすっごく時間が取られた、先輩は呆れ返っていた。
「今日はもう仕事しなくていい!自分の机の中を片づけなさい!」
そこは国民健康保険課だったから、市民が訪れる窓口があった。
そこまで声が飛んでいきそうな剣幕で、怒鳴られた。
社会人以前に、人としてダメじゃん?
そう言われてるような気がして、落ち込んだ。
健康づくり講座へ向かう車内。
お米一合何グラム?、と聞かれて、全然わからなかった。
はあ、とため息をつく声が聞こえた。
隣で先輩が呆れてる。まただ。
「あなたさ、大学で何を学んできたの?」
はい、としか返事できなかった。
これしきのことに答えられない。
何にも勉強しませんでした、って返事でも、返せばいいんだろうか、
今思い返せば、先輩も新しい職場で、知らない人達に混じってチームリーダーを任されて。
大変だったんだと思う。
おまけに新人教育(ワタシ)まで押し付けられて。戦力というか、使えないんだけど!
もう!
みたいな気持ちだったろうな。
だんだん私は下ばかり向くようになり、小言を言われるたびにごめんなさいとだけ、謝るようになった。
何も言い返せないし、言っても重ねて怒られるだけだし。
そうしたらだんだん、右手に痺れが出始めた。
痺れは少しずつ広がって、ハッと気づいた時、右腕全部の感覚が麻痺していた。ツンツンと触っても、いつものような、触れられている感じがない。
たまたま来庁していた、これまたゼミの先輩。
身体のことに詳しい先輩が、腕を見てくれた。
「なにこれ、ストレスの塊だな」
バキバキで板のようになった肩甲骨に、無理くり親指を突っ込みながら、先輩は言った。
背中をグリグリ、指で押されながら、泣いた。
しばらく経った頃、急に先輩が入院したと職場に電話が入った。
婦人科の病気だったらしい。
痛みを堪えて車に乗ったものの、運転できないくらい痛い。
病院へ行ったら、即入院になってしまったとのこと。
先輩も相当のストレスやプレッシャーを抱えて働いていたんだろう。
だからといって、私の仕事スキルがピョーンと伸びるわけではなかったけれど、被害者ぶってヘロヘロ落ち込んでばかりはやめよう。
出来ない自分と、正面から向き合おう。
できないのはみっともないし、恥ずかしいけど、イジイジ・ウジウジしてたら、みてる方も腹立つよ。助けようと思ってくれないよ。
わかりません。教えてください。ありがとうございます。
ちゃんと、はっきりと、言うようになった。
先輩の厳しさは変わらなかったけど、自分の受け止め方は変わった。証拠に右腕が痺れることも、それからなくなった。
その職場は一年で勤務終了となり、次の年もなんだかんだで先輩と一緒に働くことになった。
社会人二年目の話はどこかで書くとして。
先輩は、ダメダメな自分を叩いてくれた。
おかげで、社会人としての基礎が身についた。
「何を学んできたの!」面と向かって叱ってくれた。
それだけ、栄養の勉強に向き合って来なかった、つまりは熱を向けられていなかったことに気づかせてもらった。
学校栄養士をやってみて、それでも「先生やりたい」と思うなら、もう手放そう。
栄養士の「資格」を手放して、教員免許を取るために勉強しなおそう。
そこにグイッと仕向けてくれたのも、先輩のおかげさまだ。
「おかげさまで成功しました」って言うより、「散々叩かれたおかげで、成長できました」のエピソードの方が、私は多い。
いろんな「おかげさま」があるよね。
あなたはどうだろうか。
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