絵本作家のヨシタケシンスケさんの、処女作で代表作でヒット作、「りんごかもしれない」。
友人に「描いていて楽しかったでしょう」と言ってもらえたことが、一番嬉しかったんだそう。
そうなんだよ。これ、楽しかったんだよ。
つくるときに自分が面白がっているかどうかがクオリティに直結する、それが経験できたのはすごく大きい気がしますね。
「ものはいいよう」という本の中で、ヨシタケシンスケさんはそう語っていた。
この本は小学校でも人気だった。
ヨシタケシンスケ?誰?みたいな子でも、その本は知ってる!見たことある!みたいな、結構な認知度だった。
どこから見たってりんごなのに、実はそうじゃないのかもしれない。
そんなことを面白がって楽しがって、自分の好きな本の要素を全部取り入れて。
ワクワクしながら作ったエネルギーが、「りんごかもしれない」の絵本の中に、どかっとのっかってたんだろうな。
読んだ人にもそれが、どかっと伝わったんだろう。
数年前。
長男の育児休業を終えて、私は仕事に復帰した。久しぶりに小学校の現場に戻り、担任を受け持った。
学級開きをして2週間くらい経った頃だろうか。一人の女の子が私に聞いて来た。
「ねえ、先生はどうして、そんなに楽しそうなの?」
予想してない質問だった。
「え?そう見えるの?」
答える前に思わず、そう返してしまった。
「うん。だって、今まで見てきた先生の中で、そんな人見たことなかったから。なんでそんなに、いつもニコニコ楽しそうなんだろなぁって」
彼女には、私がそう見えてたんだ。驚いた。
彼女の言う通り、私は楽しかった。
久しぶりに社会復帰した感覚。
我が子を通して学んだこと、気づいたことを、仕事を通して還元できる喜び。
子どもたちの元気でまっすぐなエネルギーに触れて、毎日一緒に成長していける環境。
いろんなことが有り難くて、嬉しくて、楽しいなー!って気持ちに溢れていた。
もちろん大変なこともたくさん抱えてたけどね。
我が子の保育園の送迎。
それに間に合うように退勤しないといけない、勤務時間のリミット。
それでも久しぶりに働ける喜びは勝っていたんだろう。
先生はどうしてそんなに楽しそうなの?
彼女の質問に、私はこう答えたと思う。
「えー。楽しいよ!楽しくないわけないよー!
みんなといられるのは、すごくすごく、楽しいことだよ」
振り返ってみれば「どうして?」の答えにはなってないような気もする。でも彼女は「そうなのかー」って、私の答えを受け止めてくれた。
エモーショナルに生きる。
それってどういうことなんだろう。
ひとつの答えとしてはきっと、楽しい!って気持ちで生きること。
楽しい!って気持ちで没頭できる、何かがあること。
それは、外から見た時に素敵とか、すごいとか関係なくて、その人が好きでたまらない何かだってこと。
一旦仕事を離れる選択をした今のわたしは、正直エモーショナルな感覚が、自分から遠ざかっている気がしていた。
普段の生活だって楽しい。子どもたちの成長を側で見守るのも楽しい。
それ以外の、自分の中から沸いてくる「楽しい!」が、欲しいな。
これが正直な気持ちなんだと思う。
元々好きだけど、展覧会へ行ってさらにハマった、ヨシタケシンスケさんのおかげで。
また、書く朝活の仲間達のおかげで、エモーショナルな感覚のエッセンスを、心に取り戻すことができた。
さあ。
私の人生。エモーショナルに生きていこう。
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