自分で言うのもなんだが、私は箱入り娘だった。
隣に住んでたおばちゃんが「少しでもなっちゃんが咳しようもんなら、お父さん、家中の窓閉めて回ってたもんねー」と笑っていた。それくらい、危ないことや体調を崩しそうなことから、父は私をガードしていた。
また、特に家事の手伝いをした記憶がない(そんなんでよく栄養士になろうとしたよね、と後日言われる)。 母が頑張り屋なのもあるし、自分のペースでやりたいからと、あまり手伝いを頼まれる機会がなかった。
こんな感じで育ってきたので、私には、常識というものが時折欠けていた。
味噌汁のお味噌は煮立たせないよう、最後に入れる。小6で知って衝撃だった。母は最初に具材と共に味噌を放っていたからだ。
ワタシ、間違ったこと教えられてたの?恥ずかしくて、実は味噌を最初に入れて作ってたことを黙ってた。
うちなーんちゅだけど、海で泳いだこともあまりなかった。暑いし焼けるし危ないからと、父は連れて行ってくれなかった。
学校のプールの授業の際、みんな身体にタオルを巻いて、見えないように上手に着替える。あれもできなかった。
「なんで、海行くとき着替える場所ないさー、こんなしてやるでしょ?」
友達の1人に、「どうやったら上手く着替えられるの?」と恐る恐る聞いたら、そう返ってきた。あ、これはできて当然で、私ができないのがおかしいんだな。そう思った。
そういう、「私ができない、わからないのは、どうやら常識的ではないらしい」みたいなことが多々あった。それを先に察して、知ってるような、できるような素振りをするのが、高校生の頃にはすっかり上手くなった。
それでも隠しきれずにボロが出ることがあった。みんなはそれを「天然だ」と笑った。みんなが楽しいならそれでいいか、と私も、特に嫌がったり、否定したりはしなかった。
大学生の頃。友人が、半年沖縄を離れるからとスクーターを私に預けて行った。メンテにもなるし、乗っていいよーとの事だったので、早速駐車場で乗る練習をした。
自動車教習所で乗ったきり、しかも一回授業でやるくらい。エンジンのかけ方から、既に覚えていなかった。もちろん「スクーターなんて危ないから乗るな!」と親に言われてたので、そちらに尋ねようとは微塵も思っていなかった。
鍵を差し、カチャっと回し、エンジンをかける。持ち手の部分(ハンドルバーと言うらしい)をきゅっとひねる。スクーターがブインッ!と勢いよく動き出す。びっくりして手を離してしまい、スクーターだけが前方に飛んでった。え、これ乗れる気がしない…。
それでもどうにか乗りたくて、当時付き合っていた彼に、私は尋ねた。「ねえ、スクーターって、どこにバックのギアがついてるの?」
彼は目をまんまるにして、は?と聞き返した。
「だから、車のバックのギアみたいなの、スクーターのどこについてるの?」
私が言い終わらないうちから、彼は肩を振るわせ始めた。そして、あははは…と文字通り、腹を抱えて笑い出した。あっけに取られてしばらく見てたけど、だんだん腹立たしくなってきた。こっちは真面目に尋ねてるのに!
ひーひー言いながら彼が喋り出す。
「だって、スクーター後ろに引いてバックしたらええやん。ほんとにスクーターも、ギア入れたらバックすると思ってたん?」京都出身の彼が、笑いを堪え、関西弁で尋ね返して来る。
「もういい!私真剣なのに!もう聞かない!」と怒ってスクーターを片付けた。乗り方教わろうと思ったけど、もうこいつには聞かないぞ!
そう思いながら、スクーターを後ろに引いて駐輪場へ戻そうとして、はたと気がついた。
あ、こうすればいいんだ。
彼が大笑いしてる理由が分かり、同時に恥ずかしさで逃げ出したくなった。また私は、常識を踏み外してしまったのね。
あの後自力で練習し、スクーターに乗れるようになった。彼の人生の中に、いっぱい笑ったことランキングをつけるとしたら、あの出来事は10位以内にはランクインしてるんじゃないだろうか。
珍しく早起きしてきた夫に、「あのスクーターのこと、覚えてる?」と、ちょっと尋ねてみよう。
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