仕方ないよねー、そういうもんだよねー。そういう理解をしてることって、探せば身の回りにたくさんある。
もちろんそれでいい。それでもいい。
けれど、そこに自覚があるかは大切だと思う。「仕方ないや、って受け止め方をしているんだな」そう気づいているか、いないかは大切。自律的なのか、他律的なのか、大きな差になる。
今朝、コーヒーを淹れながら、ああ、「先生達だけずるーい!」って、子どもによく言われてたなぁ、というのを思い出した。多分コーヒーが引き金だ。
休み時間に職員室へ行き、用事を済ませる。同時にコーヒーやお茶菓子をいただきながら、休憩したり、先生方とやり取りをする。
この、「コーヒーやお菓子をいただく」っていうのがずるい!学校で先生たちだけ、お菓子食べてる!って、子ども達は怒ってた。
ただ、そこまで怒ってるかというと、そうではなく。ズルいなー、私たちも食べたいなー、まぁでも仕方ないよね、みたいに大抵の子は受け止めていたように思う。
私も子どもの時はそんな受け止め方だったな。「学校で、日常的にお菓子をいただく」ことを、すごーくしたい!と思ってはなかった。友達と遊んだり、図書館行って本を読んだり、他にも楽しいことはいっぱいあったし。
だからそうではなかった人、中学の友人のことは、すごく印象に残っている。
彼女は小6の時に同じクラスになり、中学に入ってからも部活が一緒で…と、なにかにつけ、共に行動することの多い子だった。ソフトボール部では、小柄な体格ながらキャッチャー(ちなみに私はファースト)、なんというか、賢いって言葉がすごく合う子だった。
察するのが早いし、それを言葉で表すのも上手い。上の兄弟に揉まれて育ったからだろうか、自分の考えをとてもわかりやすく言葉で伝える彼女を、私は凄いなぁと思って見ていた。
中2の秋に、九州へ修学旅行へ行くことになっていた。あの頃当たり前にあった、理由不明の校則が修学旅行にも適応されていて、「整髪料は持って来てはいけない」としおりに記載されていた。
くせ毛の私には大問題。ただでもうねるのに、ワックスとかもダメなの…。ため息をついてしおりを眺めていた。そしたらキャッチャーの彼女が「ちょっと先生のところに行こう」と私に加え、もう1人同じ部活の子を誘う。
担任の先生は家庭科準備室にいた。初任の若くて可愛い先生。あまりに若くて可愛いから、みんなから先生と呼ばれず「あっちゃん」みたいにあだ名で呼ばれていた。
その先生に向かって、友達は言った。「整髪料がダメな理由を教えてください。」
先生はびっくりして「どうしてそれが気になるの?」みたいに尋ねて来た。
それについて「ハッキリした理由もないのに納得がいかない」と友人は返した。
先生が意見し、数回やり取りをしたけれど、友人の納得いく答えは出なかった。そのうち次の授業の時間になり、その場はとりあえずおしまいになった。
結局その後も数回に渡り、同じやり取りが繰り返された。新任のあっちゃん先生は最後は困り果てた顔をしてた。でも友人は納得いく答えが貰えるまで引き下がらないと頑なだった。結局、整髪料を持ってきていい、とはならず、友人は釈然としない顔をしていた。
正直私は、なんでそんなに食ってかかるんだろうと見ていた。友人の憤りと私の受け止め方には距離があった。けど、そこまでして理由を求めようとする姿勢は尊敬した。私にはそのエネルギーがないな、とも思った。
進学先も一緒だった彼女は、高2の時に県費の海外留学生に選ばれ、スイスへ行った。実は私も同じ試験を受けたが、最終試験で落とされた。
なんとなく、中学の修学旅行前のあの出来事が浮かぶ。私には、そこは譲れないんだ!っていう熱が足りなかったんだと思う。そういう確固とした自分があるかないか、その辺が面接で見透かされたんじゃないか。
全てに理由を求めて、なんで?といちいち突っかかってたら生きづらい。そういうのもあって、「これはそういうもの」みたいな落とし所を自分なりに見つけて、私たちは生きている。
ただ、それに自覚的であるか否か。選んでいるのか流されているのか。自戒も込めて、そこに問いを置いて生活したいものだ。
一杯のコーヒーから、色んな思い出にトリップしたなあ。
登録はこちらから
コメント