小学校の先生だったので、
そんな傾向の子を見ることが、たまたま多かったのかも知れません。
特に低学年の子で、「学校行きたくない」と言う子。
いわゆる不登校になっている子達は
不安を感じるアンテナの強い子が多かったです。
そして
「親の不安」を自分の肩に乗せてる子たちが多かった。
(みんなそうだよ、ってわけじゃないよ)
10歳までは、お母さんと深くつながっている。
自分を生きてるようで、「お母さんの人生」を生きてる感覚。
そんな表現をする方もいます。
子どもの生まれ持った個性、敏感さ、モノの見方なんかも、関係してるとは思います。
けど、小さな子どもは「お母さんを生きている」
そのくらい、親のことが大好きだし、親のことをすごく良く見ている。
その視点も、大人の側には必要なのかもなって、思います。
ある年関わった男の子のお母さん。
「うちの子は、学校なんか行きませんから」
ピシャッと言われました。
家庭訪問で、初めて顔を合わせた私。あまりの言い切りぶりに、
「そうなんですね…」
とお返事するのが精いっぱいでした。
学校なんか行かない。
そんな彼は、たまに保健室へは、顔を出していました。
「おい、給食一緒に食べようぜ」
と、クラスの男子が誘いに来たら、教室へ行って、一緒に給食を食べて、保健室へ戻る。
クラスメイトが誘いに来たら、教室に行く。
授業の時には行かない。給食の時だけ。
勉強はできる、賢い子だよと聞いていました。
なので
「今日算数があるんだけど、一緒に来て、分からない人に教えるお手伝い、してもらえないかな」
と声をかけたりもしました。
「もう僕はその単元分かるし、わざわざ授業聞きたくない」
みたいな感じで、授業には絶対、参加しませんでした。
ある日、彼が通っているフリースクールの発表会に参加してみることにしました。
彼からもお誘いを受けていたので、行きたいなと思って。
発表会とはいうものの、何か出し物をするわけではなく。
普段の活動の様子を、ありのまま、見させてもらうような会でした。
ここでの様子を、担当の方にお聞きしてみました。
「よく笑うし、よく喋りますよ。明るい子です」
そんな一面もあるんだ。
彼が自分の本音を、魅せられる場所があるんだ。
それは良かったな、と安心しました。
「ただ先生、彼は学校へは行かないと思いますよ」
担当の男性が言いました。
「と言うのは…?」
担当の男性は、淡々と続けました。
「『学校はやりたくない事を押し付ける。
新しい担任も、教室に行こうってばかり言う。
お母さんやお父さんの言うとおりだよ。
ろくな場所じゃない。
学校なんて僕も嫌いだね』
彼はこう言ってますから。」
だから、教室に彼を戻そうとしたって、無駄ですよ。
担当の男性は淡々と、おっしゃいました。
無理に教室へ戻そうとは思っていませんでした。
でも、そんなにも学校に対して、嫌な気持ちを持っているとは知らなかった。
何よりショックだったのは
『お父さんやお母さんの言う通りだよ』
って言葉でした。
「学校なんてさ…」
そんな両親の会話を、彼は家で聞いてるんでしょう。
じゃ、学校に足が向くわけないな。
難しいなぁ。
思わずため息が漏れました。
彼はそのまま、小学校には一度も顔を出さず、卒業して行きました。
地元の中学に進んだけれど、学校自体には通っていない…と噂で聞きました。
学校に行ってなくても、それは良くて。
彼が心を開いて過ごせる場所が、他にあるならね。
全然よくて。
ただ、大人の関わりが、親の視点が、彼の選択肢を狭めてしまったんじゃないか?
それをどうにかしてあげられなかった。
その後悔だけは、ずっと残っています。
私は、子どもたちに八つ当たりするし、
悲しい時は、思いきり落ち込んだまま、夕飯を作ってたりするし。
感情むき出しなお母ちゃんなので、
偉そうな顔して言えませんけれど。
子ども達は、大人をよく見てるんですよね。
どうしたら喜ぶのか、
どうしたら悲しいのか
ものすごく観察してる。
ある程度の年齢になるまで、親(大人)の庇護なしには、
子どもは生きていけません。
本能的にわかってます。
だから親をよく見てるんですよ。
「大人は楽しそうだ」と、子ども達には思っててもらいたいもんなぁ。
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