辛い経験が私を成長させてくれた。そんな出来事はあるだろうか。
私は、学級崩壊を経験したことで、「もうこんな悲しい思いを子どもたちにさせまい」と強く誓って立ち上がることができた。
今思い出しても辛いし、あの時一緒に過ごした子どもたちには申し訳なさで胸が苦しくなる。けれどあの経験のおかげで、私は大きく変わることができた。
小学校の先生になりたての年。担任を持つのも授業をするのも初めてで、日々をこなすので精いっぱいの私には余裕がなかった。
先輩方に見てもらう研究授業も毎月のようにあったし、課題研究というものがあり、そのためのテーマ決めや計画も立てなければならなかった。道だけ用意されて、ゴールがわからないマラソンコースを、ひたすら走らされている感覚だった。
こんな調子だったので、私はクラスの子どもたちに心を向けていなかった。授業も一方的に私が喋るだけ、しかも抑揚のない声で喋るからつまらない。よくもあんな授業を毎日、文句も言わずに受けてくれていたなと今は思う。もちろん、そう思うことすら、当時はなかったが。
クラスの子どもたちが、とても優しくて気の利く子ばかりだったので、それに甘え切っていた。みんな素直でお利口さんで、有難いなあ、なんて呑気に思っていた。ホント、寝ぼけるな!とあの頃の自分に蹴りを入れに行きたくなる。
クラスがおかしくなっていった、一つ目のきっかけ。思い返したら、あれが「先生気づいて」っていう、彼女からのサインだった。
お楽しみ会の日。私はぼんやりと教卓に腰掛け、会の様子を眺めていた。いろんな出し物やゲームをしながら、子どもたちが笑っていた…と思う。その光景さえ思い出せないほど、私はそこに興味を持って関わろうとしていなかった。
1人の女の子が、不意に私の方へ近づいて来る。進んで前に出ることはほとんどない、物静かな子。彼女はゲームで盛り上がる教室の真ん中から、わざわざ離れた教卓の方まで歩いて来て、少し強めの口調でこう言った。
「先生、私たちが楽しんでいる時には、一緒に楽しんでください。」
ハッとした。
目の前で、パチンと手を叩かれたみたいに、ぼけっとしていた私は目を見開いた。彼女はそれだけ言って、またゲームの輪の中に戻って行った。
普段、こんなに物をはっきり言う子ではない。意を決して、もしくは我慢ならずに、伝えに来てくれたのだと思う。きっと彼女は、私を好いてくれていて、私に変わって欲しくて。そんな想いでいてくれたんだと思う。
自分の事しか考えてなかった残念な私は、彼女の真意に気づくのに、大分時間がかかってしまった。きっと彼女が声をかけてくれた頃には、クラスの中に綻びが出始めていたんだと思う。
それから2ヶ月ほどして、クラス内で仲間外れが起きたり、同じ部活の子どうしでいじめが起きたり、たまった膿が溢れ出るようにトラブルが頻発した。親御さんも出て来て、騒ぎは大きくなった。
学年の主任も、管理職も助けてくれたりして、なんとか落ち着いたけれど、失った信頼は戻らなかったし、クラスのガタガタしてしまった雰囲気もそのままに、3月の終業式を迎えてしまった。
終業式の日に、女の子達が指揮を取って、黒板に寄せ書きしよう!とみんなでメッセージを書き込んだ。楽しかった!また会おうね!そんな風に明るい言葉で、子どもたちのメッセージが書かれた黒板。みんなが帰った後、私はやるせない気持ちでそれを眺めた。
「来年同じようなことになったら、あなたは教師を辞めた方がいい。子どもたちのためにも、そうした方がいい。」
最後の研修で、新人指導の担当教諭から、そう言われた。ホントにその通りだと思った。
今年2度目の学級崩壊を迎えたら、先生辞めよう。新しいクラスで毎日必死に働いた。結果、校内研究の授業者に選んでもらい、「変わったね」と昨年度を知る先生たちに言われるようになった。
私の大きな成長も変化も、痛くて辛い去年の経験のおかげだった。
おかげさま、って言葉は適切じゃないなと思うけど、あの経験がなければ今の私はない。
ごめんね、ありがとう。もう会うことのないあの子達には、今でもそんな思いでいっぱいだ。
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