先生って、ありがたい職業です。
そう思いませんか?
毎日、自分の話を児童生徒が聞いてくれます。
日々の授業で、自分のやっていることを実験・検証(ちょっと言い方が雑ですが)を、毎日させてもらえます。
小学校の先生なら、授業の回数は、少なめに見積もって、1日5回の週5日。
5×5=25で、1週間に25回。話すトレーニングやら、授業のトレーニングをさせてもらっています。
そのために人を集める必要もない(子どもたちが学校に来てくれる)。しかもお金までもらえる。
なんて有難いんだろう。
小学校の先生になる前に、私は栄養士をしていました。
市町村から依頼を受けて、健康づくり教室のお手伝いをする、という業務に関わっていたのです。
大卒でそんな仕事を始めたから、話術なんて全然ない。年に数回しかない、健康づくり教室の栄養についてのお話の会なのに、うまく話せない。
「あー、今日はですね、えー、タンパク質のお話をしたいんですけど…なんだっけ(と言いながら資料を確認する)」
こんな感じの聞くに耐えないお話を、参加者さんは怒ったり呆れたりせず、よく聞いてくれていたなと思います。
多分私が若かったから、「がんばれよー」みたいな心持ちで、見てくれてたんだろうな。
練習すればよかったんです。そんなことすら、その時は思いつかなかった。
その後色々あって、小学校の先生になったのが20代後半の頃。歳だけくってて、大卒の先生よりも授業が下手(授業の仕方をちゃんと学んで来てないから)。
焦った私が思い出したのが、当時通っていた三線教室の先生の言葉。
「自分の唄を録音して聞きなさいね。恥ずかしいかも知れないけど、いっぺー(1番)早く、上等になるからね。時間がない?なんで、仕事行く時、車の中で聞けばいいさ。」
先生になりたての年、同時に三線の昇級試験を受けていました。
練習時間がなかなか確保できていない私に、師匠がかけてくれたアドバイスが「唄を録音して聞きなさい」
まあ、試験だからやりなさい、というわけではなく、普段から自分の唄を、客観的に聞きなさいね、とは言われていたのですが。
恥ずかしいと逃げていた「自分の声を聞く」をやってみる。出勤途中の車内で、ボイスレコーダーを機器に繋ぎ、ボタンを押す。
想像して欲しい!
車のスピーカーを通して、自分の歌声が聞こえてくる様を。
気持ち悪いったらありゃしない。
ヒェー!いやー!、ホントにこんな奇声をあげながら聴きました。というか、耐えてました。
でも、師匠の言う通り、格段に唄は上手くなりました。「やっと自分の唄、聞き始めたんだね」とお稽古で言われ、「はい、早くやればよかったです」と、深々頭を下げました。
同じように、録音した授業中の喋りも車内で聞き始めました。
やっぱり気持ち悪い。ひたすら耐えて聞く。
湧いて出て来る、自分の喋り方の悪いとこ。
ずーっと声のトーンが一緒。抑揚がないんです。これを45分続けて聞かされたら、眠いしつまんないしで、たまらない。
あー、とか、えー、も多い。その度に、何の話だったか脳みそが止まる。これ多分、子ども達の脳みそも同じようにさせてるぞ。
聞くたびに落ち込んだり、なかなか上手くならない自分に怒りを感じながらも、一年ほど続けました。
そしたら次の年、「校内研究の代表授業、やってみようよ」と声をかけてもらう運びになりました。
初任者研修が無事終わったから、次のチャレンジにどう?っていう意図もあったそうです。でも、代表授業って、学校の外からも偉い人が見に来るわけで。
この人大丈夫かなあ…みたいな人には、さすがに頼まないよね。それだけ成長できたんだなということ。
たらればの話になるけど、栄養士だったあの頃も、もっと練習して講座に臨めばよかったな。
ただ、人間って怠け者な生き物で。
毎日授業がある、明日も子どもが来る、そんな環境だから、追い立てられて頑張った部分は、確実にあった。
毎日、授業するの大変だな。
分かる。
小学校なんて、毎日毎時間、違う内容の用意をしないといけないもの。
でもね、トレーニングさせてもらってるんだ。成長させてもらってるんだ。
そんな目線で眺めてみたら、毎日の仕事の捉え方が変わる。
あなたは、どう思う?
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