自分の目で見たもの以外は、ウソかも知れない?まずは知る、ということの大切さ

教育

「沖縄出身なの?いいなー、羨ましい!」

…こう言われると、正直、反応に困ってしまう時がある。

もちろん単純に、羨ましいと言われたら嬉しい。自分の故郷が、みんなに好意や興味を持たれているのは、誇らしい。

一方で、羨ましいの後に「私も住みたい!」とか「毎日楽しそう、いいなあ」って言葉が続くと、重ための本音が顔を出してきそうになる。

ああ、この人も、見ているのはキラキラした部分だけ、なんだな。

知って欲しいな。沖縄、楽しいばかりの場所ではないことも。

時折、沖縄旅行の際に戦跡めぐりをしてきた人に出会う。平和祈念資料館へ行ったとか、ひめゆり平和祈念館で手を合わせてきたとか。そういう人の話を聞くと、私もその人に手を合わせたくなる。興味を持って、知りたいと思ってくれてありがとう。そんな想いが溢れてくる。

そう、溢れてくるのだ。なんで?と言われても、説明するのが難しい。きっと、幼い頃から繰り返し沖縄戦の話を聞いてきたり、そういう戦跡が身近にあったり、おじいおばあや両親の抱える複雑な想いを側で感じ取ってきたから、私の身体に流れている何か、っていうのがあるんだろう。

一生懸命、言葉にしてみたけれど、まだしっくり来ない…でも、そんな感じなんだと思う。

先日、沖縄が好きで何度か旅行に出かけている、という方と話をした。その人は沖縄の歴史にも詳しく、今回は本島南部の、激戦地と呼ばれる場所を回ったり、ひめゆり平和祈念館を訪れたりしたんだそうだ。

「アメリカの人もだけど、日本人が沖縄の人にどんなひどいことをして来たのか、改めて、知らなかった自分を恥ずかしく思ったの。」

その言葉を聞いて、ググッと心が動く私がいる。

やっぱり心の奥には、アメリカ軍にもだけど、日本軍にも酷い仕打ちを受けてきた、そしてそれを大方の人がなぜ知らないんだ?という怒りの気持ちや、被害者意識がある。もののけ姫のアシタカの腕に封印された魔物みたいに、何かの拍子でウオーっと暴れそうになる。

そういう感情を全面に出して喋っても、誰も幸せにならないことはわかっているから、「沖縄好きなんだよね」って話をされても、戦争の話は出さないし、実はいろいろと複雑な感情を抱えているんだよってことも言わない。

でも、この方の感じたことを聞いて、心からありがとうと思った。癒された。知ろうとしてくれて、ありがとう。

そう、知って欲しかった。実際にあったことを無いものにして欲しくなかった。知らないということは、無いと同義のようなもの。

そうしたら「ホントはそんなものないんだよ」と言ってくる誰かがいたとしても「そうなのかな」としか思えないし、そう思わされてしまう危険だってある。これは、戦争に限った話ではない。

その方も「知ることって大事だし、もっと言えば自分の目で、どうなんだろう?って見て欲しいよね」と仰っていた。私もそう思う。

経験談をシェアしてもらえるのって、とってもありがたい反面、どうしたってその人のフィルターがかかる。なるべく、そのフィルターがあることを意識しながら喋るけど、完全に取り去ることは難しい。

可能な限り、自分の目で見て、聞いて、感じたものを、自分の肚に落としていって欲しい。

ああ、やっぱり重たい内容になっちゃったなぁ…。記事を公開するかどうか悩んでるうちに、「自分の目で見たもの以外はウソかも知れないよね」なんてフレーズを思い出した。

ふたご座流星群が接近中、そんなイベントが最近あった。一応早起きして空を眺めて見たけど、方向が合ってなかったのか、見る時間が短すぎたのか、私は残念ながら観測できなかった。

同じように「見られなかった」という友達が、「後でニュースのダイジェストとか見るわー」とつぶやいた。そうしたら別な友達が「でもさあ、それ、CGが流れてるだけだったりして」って、ボソリと言った。

確かに。テレビの画面に出てくる流れ星の映像が、ホンモノかどうかなんて、確かめる術がないね。

皆で頷いていたら、そしたらダイジェスト待ちをしようとしていた友達は、半ばふざけて「あー分かったわよ!来年ちゃんと観たらいいんでしょ!」とキレた。

そうしなよー!自分の目で見たもの以外は、ウソかも知れないからねー!

と、みんなで笑い合った。

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