「怒り」の感情は、譲れないものに気づくヒント。

教育

茨城に越して来たばかりの頃、たまたま、元学校の先生、というママに出会いました。

子育て支援センターで親しくなったそのママ。しかも同業者だなんて、ラッキーだ!お仕事の事を色々聞かせてもらいたい。

「茨城の学校ってどんな感じですか?」目をキラキラさせながら、私は彼女に尋ねました。

彼女から返ってきた言葉に、私は耳を疑いました。

「こっちの学校はクソだよ」

私の聞き方とか、尋ねるタイミングがまずかったのかもしれません。いや、しかし、でもクソ。

うんちですか。

多分開いた口が塞がらない、をリアルにやってたんじゃないかと思います。ショックであまり記憶がありません。

働く同僚や管理職のこと、ガチガチの管理教育スタイル、難しい親御さんも多い。大変だったんだ、心が潰れてしまったんだ。

そんな話を、話というかグチを、延々彼女は喋っていました。

彼女の中の怒り、憤り、そういうものが混ぜこぜになった気持ちが流れ込んできて、一瞬、すごく悲しくなりました。

分かったんですね。彼女の気持ちも。

辞めた自分を納得させたい、正当化したい時に、相手を悪く思うことで落ち着くって事、あるから。

彼氏と別れた時なんてそう。あー、やっぱりあんな人と付き合ってたのは間違いだった!そう思った方がスッキリする。

あんな素敵な人だったのに、って考え出したら、どうして、なぜ私は別れてしまったの…なんて、自分責めを始めてしまう。

だからおそらく、彼女の視点で、現場をより、悪く言っている。

その気持ちも理解できた。

「その人がみたいように、モノを見てたってことでしょ。」

帰ってから主人に話をしたら、返してきた言葉。

「そうだと思う。」

台所で立ち尽くしたまま、私は返事をしました。

「その人が言うような事もあったんじゃない。知らないけど。でも全部がその人の言う通りかは分からないでしょ。」

だからこれ以上、事実確認のできないことで悩むなよ、彼はそう言いたいのでしょう。

「うんわかった。あとね。ふざけんなと思った。」

「は?」

「学校はクソかもしれないけど、子どもたちはクソじゃない、ってムカついた。」

彼女から流れてくる悲しみをひと通り受け止めて、そのあと湧いてきたのは怒りでした。

現場の文句をさんざ言ってるけど、そんな場所に毎日来る子どもたちはどうなるの?

あなた守ってあげなかったの?

自分の子どもも、そんなクソな場所にいずれ通わせるの?

文句ばっか言ってんなよ、ふざけるな!

…って言わなかったけど。言いそうになりました。恥ずかしい、この短気な性格。

「そう、それで?」

一瞬怯んだらしいけど、またいつものポーカーフェイスに居直って、夫が尋ねる。

「うん。一度自分の目で確かめてやると思った。ホントにそうなのか、中で働いて確かめてから、私は物を言おうと思う」

いいんじゃない。…ただ、働く時には相談してよ。

とだけ、彼は言った。

茨城には互いの親もいないし、私はまだ地域に馴染んでいるわけでもない。次男の保育園や、長男の学童。働くとなったら色々考えないといけない。

だから1人で突っ走らないで、って私に釘を刺したのね。

子どもたちには罪も落ち度もない。むしろ、選べる側に子どもたちはいない。

だから子どもたちの過ごす環境は、できるだけ良くしてあげたい。

一番は人間関係だよね。文句を言うより「どうしたらいいだろう?」って問いを立てる人の側で、子どもたちは過ごしていって欲しい。

あのママに会う機会は、あれ以来無くなってしまいました。だからもう、彼女の経験や思いを深く聞くことはできません。

もしまた会えたら、彼女の話、もう少し深く聴いてみたい。

思いもしないところに、自分の怒りポイントが見つかった。文句も言っていいけど、「どうしたらいい?」ってゴンゴンぶつかってく、そんな人でいたいんだね、私は。

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