私たちは、なぜ書くんだろう。

教育

思いを言葉にする。発信する。

やっぱり意義のあることだと思う。

自分の声が、思いが、誰かの役に立つ。

こんなに嬉しいことはない。

振り返ってみれば、昔から書くことが好きだった。

物心ついた時には、シンデレラまるパクリの絵本を描いていた。

悪者の名前が「がちみんぐんだん」

沖縄の方言で、食いしん坊軍団。

大人になって見返して、笑ってしまった。

小学生になってからは、家で余ってたノートに日記を書いた。

実家の片付けで出てきた、それ。

当時好きだった男の子の事が情熱的に書かれていた。

恥ずかしすぎて読めなかった。

紙袋に入れて、ガムテープで巻いて、処分させていただきました。

色んな事を書き綴ってきた。

楽しいこと、嬉しいこと、辛かったこと。

どちらかと言うと、辛かったことが多めかな。

私にとって書くことは、好きで、得意で、無理なくできることだ。

自分のために書いてた、学級だより

なので、結構マメに学級だよりを書いていた。

ある年は、生活科で校内、校外と様々出かけて活動していたのを、写真と共に家庭へ向けて発信していた。

ある日、とあるお母さんが言ってきた。

「ウチの子、全然写真載らないですよね。先生、贔屓な子ばっかり載せてるんですか?」

はっきりした言葉は覚えてない。

でも、怒りや納得の行かない気持ちを、こちらにぶつけているのは間違いなかった。

そこでちゃんと説明をすればよかったのに。

私はその言葉にショックを受けて、学級だよりを出さなくなってしまった。

今なら分かる。

被害者ぶってたのだ。

学級だよりも、楽しくて書いてはいたけど、自分のために書いてたんだ。

だから傷ついた、なんて感じたんだ。

感謝を伝えたくて書いた、学級だより

それから数年後、育休が明けて復帰した年も、また学級だよりを書き出した。

あの時の事が脳裏に浮かぶ。

後悔していた。

あのお母さんが言いたかったのは、文句じゃなかった。

そのことが母になり、理解できるようになった。

我が子も可愛いがって欲しかった。労って欲しかった。

私の大変さを分かって欲しい。多分そんな気持ちもあったと思う。

私はおうちの人に向けて、学級だよりを書いた。

今日はこんなことがあった。

こんな事がみんなで出来た!

そして。

いつも元気に学校へ送り出してくれて、ありがとうございます。

感謝を伝えたい。

その部分が以前と大きく変わった。

懇談会で、1人のお母さんがお礼を述べてくれた。

「先生のおたよりを、育児雑誌の代わりに読んでるんですよ〜。お金出してああいうの買うより、よっぽど良いですよ。」

嬉しかった。

思いが届いてて、役に立っている。

それをわざわざ伝えてくれる人がいる。

読んでくれてありがとうございます。感謝なのはこちらの方です。

温かい時間を過ごさせてもらった。

ベクトルを外に向けて

おこがましいかなぁ。

そんな気持ちが今まであったんだけど、自分の声が、思いが、誰かの役に立つ。

やっぱり、こんなに嬉しいことはない。

時間を使い、エネルギーを使い、思いを言葉にして届けることは、やっぱり私には意義のあることだなと思える。

長男は小学一年生。

連絡帳に、いつもありがとうと先生へ感謝の気持ちを綴っている。

先生が嬉しい気持ちになってくれたらいいな。感謝の気持ちが届いたらいいな。

明日からまた、子ども達と授業頑張ろう。

そんな気持ちになってくれたらいいな。

っていう願いを込めつつ、書いている。

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