やりきったからこそ「なんくるないさ」と言えるのだ。

先生の働き方

真(まくとぅ)そーけー なんくるないさ

挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつかきっと報われて良い日がやってくるよ。

という意味。

沖縄の方言だ。

バスケットワールドカップ男子代表、帰化選手のジョシュ・ホーキンソンが、この言葉いいねー!と言っていたのを、YouTubeで拝見した。

頑張っていること。努力していること。達成したいこと。

それは果たして報われるのだろうか。上手くいくんだろうか。

悩みや迷いに囚われそうになった時、この言葉が道しるべみたいになる。

なんくるないさー、という語尾の部分が一人歩きしている。

「どうにかなるよー」って意味で使われることが多いけれど、ホントのところはちょっと違う。

正しい道を歩むべく、努力していますか?

それが大事。

正しい道とはなんなのか

ちょっと話が飛ぶけれど。

私にとって働くことは、「正しい道を歩むべく努力しているか?」を確認する場としても、機能している。

そう思う。

子どもの前では嘘はつけない。

正しいか正しく無いかなんて、瞬時に見抜かれてしまう。

私は私のまま、子ども達の前に立つ。

全然完ぺきじゃない。

得意なことも苦手なこともある。

元気な日もあれば、どうしても元気でいられなくて、みんなに助けてもらいたい日もある。

でも、あなた達といるのが楽しいし、共に学ぶのはワクワクする。

それはホント。

働く上での「まくとぅそーけー」は、私にとってそんなところ。

その姿勢は、家庭にも伝播する。

なんというか、働くことで、家で子どもと過ごす時間も清々しくいられる。

例えば、息子のとりとめのない話も、えー、そうなんだー、最高だねー!と相槌を打ってあげられる。

母親なのに、家じゃなくて職場が大事なの?

と突っ込まれそうで、怖くてなかなか言えなかった。

でも「正しい道を歩むべく努力しているか」を意識させてもらえる場所が、私にとっては職場なのだ。

母、という軸一つでは、確かめられない。

母の顔、職場での顔、それを行ったり来たりするから、「これでいいんだな」「こんな在り方が気持ちいいな」と確かめられる。

これは共感し得る考えなのだろうか。というより、誰かの役に立つ投稿なのだろうか。

わからないけど最後まで書きます。

やっぱりここが好き

引っ越して来た先で長男が小学生になった。

先日息子のクラスに、絵本の読み聞かせボランティアでお邪魔した。

ワクワクしながら絵本を待つ子。

朝の支度が終わらなくて焦っている子。

あまり興味なさげに座っている子。

私のパンツのぞく気ですか?みたいな位置に陣取って、あぐらをかいてる子。

こんなのびのびしたエネルギーに囲まれてるのが好き。

担任の先生ものびやかな方で、事細かな注意はしない。

「じゃ、絵本読ませてもらうねー」と、こちらも楽しい気持ちになりつつ、大型絵本を開く。

そう、好きなんだ。

この空間が好きなんだ。

なんでと聞かれても上手く言えない。ただ、心が揺り動かされているのは間違いない。

挫けそうでも、なんくるない

親戚も知り合いもいない土地に越してきて、一年が経った。

やっと土地に馴染んできた。

同時に、ここで生活をしていくこと、働くことについても、そろそろ決めないと…という焦りに駆られている。

まくとぅそーけー、なんくるないさ。

大丈夫。

私が正しいと思う道が、前よりクリアに見えるようになった。 

挫けず淡々と進もう。

なんくるない。

きっといいように運ばれていくだろう。

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