矢印はどこに向かっているか?相手目線で行動する、とは。

先生の働き方

相手目線で行動するって、どうしたらいいんだろう。それが苦手で困っている。

相手が欲しいものをあげるんだよ。

読み手が読みやすいように書くんだよ。

情けないことに、それがスムーズにできない。

あーあ、とため息をつきながら、ふと思い出した「学級通信」のこと。

認められたくて書いてるとダメだった。感謝を伝えたい一心で書いてたら、上手く流れていった。

これはヒントになるかもしれないな。

小学校の先生をしていた時のこと。私は毎年、学級通信を出していた。

私は最初、自分を満たすために出していた。恥ずかしいし情けないけど、事実。自分のためにやっていた。

どうしてそう思うのかというと、あるお母さんの一言で、パタっと止めてしまったからだ。

結局自分のことしか考えていなかったんだなあ。振り返ってそう思ったからだ。

その年、私が担任を受け持っていたのは、低学年だった。

なので、お父さんお母さん、保護者に向けて、毎日の活動や子どもたちの成長を伝えるために、学級通信を書いていた。

算数でこんな勉強をしました。生活科で、こんなことができるようになりました!

子どもたちの学習する様子がより伝わるよう、こまめに写真を載せていた。

学校で保護者の方と直接会ったり、話したりする機会というのは、残念ながら少ない。だからせめて、学級通信を通してコミュニケーションを図りたい。そんな考えもあった。

確かその日は授業参観だった。授業が終わり、子どもたちは一斉に廊下で飛び出していく。

お母さーん!見てた?みたいに、自分の親のところへ一目散な子。お友達のお母さんのそばへ駆け寄る子。

授業中も後ろばかり向いて、全然お勉強にならない。それくらい、特に低学年の子どもたちには、親が観に来てくれるのが嬉しくてたまらない。

私も次の授業の用意を手早く済ませ、廊下へ出る。すると一人のお母さんが私の方へ寄って来た。

ある女の子のお母さん。確か県外から沖縄へ嫁いできたんだっけ。その子は色白で、お母さん似なんだな、顔を見てふと思う。

2年生になって初めてのクラス替えで、女の子は進級当初、クラスになかなか馴染めなかった。

私はそこに丁寧に寄り添ってあげることができず、お母さんもそんな私の対応をあまりよく思っていなかった。

お母さんは私の真正面にやってきた。「先生。学級通信なんですけど。うちの子、全然写真に写ってないですよね」

え?

言葉に詰まってしまう。

一応みんなが載るように気をつけてはいたけど、そうなんだろうか。

「すみません、そうでしたか。気をつけてはいたんですが…」

その後、いくつかやり取りをした気がするが、覚えていない。お母さんに言われたことがショックだった。怒りも沸いたし、落胆もした。

こんな頑張ってるのに、文句言われて。もういいや。

恥ずかしいけど正直に言えば、そんな感じだった。結局その出来事を機に、だんだん学級通信を出す頻度が減り、とうとう最後には出すのを辞めてしまった。

今なら分かる。私は自分のために学級通信を出していた。心の奥に「私は頑張ってる」「すごいでしょう」みたいな気持ちを抱えていた。

だからお母さんの一言に傷ついた。というか、「被害者」ぶっていた。言われた私がかわいそうで、あんなこと言ってきた相手が悪い、だからもう書かない、みたいな。

書けば書くほど恥ずかしいけど、本当に私は、自分のことしか考えていなかったんだな。

親になった今なら分かることがある。お母さんが本当に言いたかったのは、私への文句じゃなかった。

多分お母さんは寂しかった。

故郷を離れて、知り合いのいない沖縄へ越して来た。パパは仕事で忙しく、土日もなかなか休めないと女の子が話していた。

きっともっと、自分に寄り添ってくれる人が欲しかったと思う。

学校の先生がどこまでそのニーズに応えられるかは難しいところだけど、そんな気持ちを汲んであげるだけでも、きっと違っていたはず。

妊娠、出産を挟んで復職し、またクラスを受け持ち、私は迷わず学級通信を書き始めた。

でも今回は、お父さんお母さんのために書くんだ。

いつも子どもたちを元気に登校させてくれてありがとう。忙しい中、子どもたちのために頑張ってくれてありがとう。感謝の気持ちを伝えるために書く。

不思議なことに、同じような苦情をもらうことはなかった。それどころか、学級通信読んでますよ。育児雑誌の代わりにしてますよ。そんな声をいただいた。 

私の心持ちが変わったのは、大きかったと思う。

相手目線で考える、行動する。私は正直、あまり得意ではない。行動の基準は大体、自分が興味あるか、楽しいか、そんなところ。 

でもこの時の経験はヒントになりそうだと思っている。

相手への感謝で行動すること、相手を労う気持ちで行動すること。

そう考えてると、あの時真正面から自分の思いをぶつけてくれた、お母さんにも感謝だなあ。

コメント

  1. 学校の先生も色々な子ども、そして親との関わりを持ちながら大変だと思いました。
    一生懸命に取り組んでいたものに文句を言われるって、凹みますよね。
    私も同じことがあったって思い出しました。

    傷ついた経験から気づきと学びへ転用される姿勢に、心打たれました。
    私も不貞腐れずがんばります
    ありがとうございました。