千葉に住むお友達と、久しぶりにzoomでお喋りをしていた。
彼女はよしもとばななという作家さんが好きだという。私も一冊くらい、読んだことがあるなと思い出す。
作家さんであり、エッセイストでもあり。私が読んだのはエッセイの方で、なんだか不思議な感覚をお持ちの方なんだな…と思ったのを覚えている。
スピリチュアリスト、というわけではないけど、例えば「私は何度も生まれ変わっていて、今世は始めて女性としてこの世にやってきて」みたいなくだりが、文中にふっと入って来る。
突然、不意に、それが登場するようにも見える、そんな文体。おそらく前世や転生みたいな話は、よしもとばななさんの中では日常であり、普通のことなんだろう。
ちびまる子ちゃんの作者、さくらももこさんが「庶民的で不思議な人」なら、よしもとばななさんは「ホント不思議な人」。
友達のそんな表現に、なるほどなと頷いた。
「よしもとばななさんの本、何か読んでみたいな」と話すと、彼女はじゃこれを…と、勧めてくれた。
本のタイトルは、「違うこと」をしないこと。
「違うこと」とは、その人の生き方の中で、今ここでするべきではないこと-。吉本ばななが、試行錯誤の結果たどり着いた「自分を生きる方法」を伝える。
水戸市立図書館ホームページより引用
「本の中に出て来た、自分らしさって何だろう?と悩む人へのメッセージが、面白かったんだよね。」
画面の向こう側で友達は言った。
彼女から聞いた話の覚え書きになるが、そのエッセイには、こんな一文があるという。
今まで自分らしく生きて来ていない人が、突然自分らしさを探しに行ったって、見つかるわけもない。
玉ねぎの薄皮を一枚ずつ、そっと剥くように日々を生きていくことが大事。
玉ねぎの薄皮を剥いていくように生きていくと、自分らしさが見えてくる。そういう表現は面白いねーと、私も友達もそこに同じ感想を持った。
面白い!と思ったのは同じだったけど、受け取ったメッセージは2人の中で違っていた。
彼女はたしか、そんな見つけ方があるんだなーということに、面白さを抱いたと言ってたような。(違ってたらごめんね)
私はこう思った。
玉ねぎの薄皮って、一枚ずつ剥いてったら、最後は玉ねぎがなくなっちゃうんじゃない?丁寧に自分を剥いていったら、実は何にもありませんでした。ってことなのかしら?
なかなか性格悪いな。と自分で苦笑いする。
彼女のなるほどーという相槌が、イヤホン越しに聞こえて来る。たとえ自分が納得してなくても、優しく受け止めてくれる彼女は凄い。
本を読んで、前後の内容まで見て見ないと、よしもとばななさんの伝えたかった事は私には分からない。
もしかしたら、読んでも分からないかもしれない。
でも、自分を探しに旅に出てしまう人(私もそうです)について、なんとなく違和感を感じていたので、「玉ねぎ(自分)の薄皮を一枚ずつそっと剥いていく」という在り方には共感した。
そっと自分の薄皮を剥いていく。
実は嫌だったこと。本当は好きでたまらなかったこと。
成長していくにつれて見えなくなってしまったものが、そこにあるのかもしれない。
で、剥いて剥いて、色々気づいて思い出して、スッキリした頃には、自分という玉ねぎはなくなって、周りに薄皮がたくさん散らばってる。
そんなもんかもしれないな、何となく思った。
薄皮の中身や色や形、匂い、手触りを、自分で剥いて確かめていくもの。自分らしさを探すとしたら、そういうものなのかもしれない。
こうして自分の思いや考え、経験をしたためている「書く」という作業もそう。
自分の薄皮、中身をめくって見せている、自分らしさを文章として見せている。
そう言い表すこともできるんだろうな。
実は、最近書くことが少し辛くなっていた。
どうして上手く書けないんだろう、どうして書いた記事に対して、感想をもらえないんだろう。私は得意の「自分探し旅」にうっかり出かけていたんだなあ。
違うちがう、そうじゃない。
自分っていう玉ねぎに向き合いなさい。薄皮を、一枚ずつそうっと剥くんだよ。
で、その薄皮についてる色や、匂い、手触りをよくよく見て、書くんだよ。
そう言い聞かせながら、今日も言葉を綴って自分らしさを探求する。
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コメント
なっちゃん、昨日はありがとうございました吉本ばななさんのこと書いてもらえて嬉しいです✨
私今日、図書館でヨシタケシンスケさんの本を貸出予約しました。
残念ながらオススメの本はなかったので、
リクエストしてみました!