今すぐ「どうして?」をやめなさい!答えが見つからず、悩んでいるあなたへ。

教育

なんで私の話を聞かないんだ!

そう思ったことがなかった。

むしろ聞いてくれてありがとうと思っていた。その感覚が一般的じゃないんだなと気づいたのは、小学校の先生として採用されて、数年経ってからだった。

「どうして聞いてもらえないんだろう」と悩んだことはあった。初任の年も次の年も、私の話し方が下手だったせいで子どもたちが話を聞いてくれない時はあったからだ。

どうして読みやすい文章が書けないんだろう。ここ数日悶々と悩んでいた答えを、あの頃の自分が指を刺しながら、こちらに向かって訥々と説教している。

「あなたさ、どうやったら伝わりやすくなるのかな?って、そもそも考えていないでしょう?ほらあれよ、Whyではなく、Howってやつよ!」

小学校の先生になりたての一年目。話し方については、指導教諭からとにかく指摘を受けた。抑揚がない、一本調子で聞いてたら眠くなる、あー、とか、えー、とか、多過ぎる。なので、話を聞いてもらえない原因が、自分にあるのは嫌というほどわかっていた。

恥ずかしいとか言ってられない、と、授業中の自分の喋り方をボイスメモに録って聞いていた。およそ聞きたいとは思えない、つまんない話っぷりだった。こんな拙い私の話を、子どもたちは賢明に聞いてくれてるんだ。有難い気持ちだった。

話し方の工夫について、とにかく学んで試した。声の大きさ・抑揚は女優になったつもりで。なるべく言葉を削って、短く簡潔に伝えるように。身振り手振りも大切だし、ちょっとイメージしにくい事柄なら、子どもたちに身近な例えを出して「ああー」と絵が浮かぶようにしたり。

今、ブログ記事の書き方を学ぶ勉強会に参加している。繰り返して指摘を受けているのが、「読み手に優しい、読みやすい記事になっているか?」ということ。文章を書くのは好きで、しかも得意なもんだと思っていたから、添削を2度受けて「思ってたより、自分って才能ないんだなあ」なんて落ち込んだりしていた。自分で文才あると思っていたのか、この人イタイな…なんて引かれそうだし、恥ずかしいが、ホントのことだ。

で、先日講義を受けたり、他の方への添削文を読んでやっと理解できたというか、腑に落ちた。「初めまして、の人も、なるほど!と思ってくれる丁寧さが必要」。

そうだ。先生として子どもたちを目の前にしたら、いつも考えてた。「この伝え方は、みんなに届いているんだろうか?」いつも向こう側には、喜ばせたい子どもたちがいて、満足してもらいたい、喜んでもらいたいと務めていた。ああ、あの時の心がけが、今の自分にないんだな。

なんで読んでくれないんだ!なんで聞いてくれないんだ! 矢印が自分に向かってる状態では、「なんで」は解決しない。キーワードは「どうしたら?」。Whyではなく、How。書きながらハッとして情けなくなった。私はこのフレーズを知っている。教わったことがある。なんだ、根っこのところは全部一緒なんだな。こんなに気づけないって本当、才能には乏しいのかもしれない。じゃ、努力でカバーですな。

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