お母さんで先生のあなたに伝えたい「助けてもらう」ことの大切さ

教室 教育

仕事の効率化…の話ではありません。

「ママ」「お母さん」「先生」「働き方」
Googleで検索すると、こんな記事がヒットします。
「〜な時短術」

「仕事の効率化に使える◯つのコツ!」

「家事は便利な機械をとにかく使おう」


どれも大事です。だって時間は資源ですから!
なのですが、ここでお伝えすることは時短や効率化の事ではありません。
なんでも一人でやろうとしなくていいんだよ、という趣旨のお話です。

かくいう私も元々の長女気質が相まって、助けてもらうのは苦手でした。
何でも自分できてこそ、カッコいいと思っていたくらい。


子どもが生まれたとたん、その思い込みは打ち砕かれました。
さらに職場復帰したら、「助けてもらわないと仕事が回らない」ことにびっくりします。

自分でやれないのは、ダメなこと?



ワタシの場合ですが、保育園の送迎担当が基本的に自分。
朝は主人に変わってもらえる日もありましたが、それでも朝はギリギリ出勤。
夕方はお迎えに間に合わせて帰らなければならない。
職場に到着する時間も、いられるタイムリミットも、決まっている状態が当たり前でした。

とはいえ、学校の先生は忙しい。
定時までに会議や話し合いが終われないこともあります。
どうしても迎えに間に合いそうになく「すみません、お先に失礼します」と帰れば、
次の日にはこんなことが。
いつの間にか決まっている予定の付箋紙。
準備してもらったプリント類が机の上にどーん。

「また、やってもらっちゃったな」と、気持ちまでどーんと沈んでいました。
自分でやれないことに、初めは罪悪感を覚えていました。

助けてもらったらまず「ありがとう」。そして自分ができる貢献を。



ですが気持ちを切り替えて。
とにかく、やってもらったら「ありがとう」と口に出すようにしました。


プリントを印刷してもらった時。
掲示物を貼ってもらった時。
なるべく早めに、相手に直接「ありがとう」を伝えるようにしていました。
直接お会いする時間の作りにくい先生(担任の先生など)なら、
「お世話になりました」の付箋と一緒に、
小さなお菓子なんかも添えると喜んでもらえます。



そして自分でもできることを探して、貢献するようにしていました。
…といっても、ガッツリ時間がかかることはやれないので
例えばこんなことをしていました。


・学年での話し合いでは、意見やアイデアをちゃんと述べる。
(なんでもいいだと、かえって話がまとまらなかったりするから)

・サッとやれる細々としたことは、気づいたら進んでやる。

(帰りの児童玄関の閉じまり、トイレスリッパならべ、他クラスの子が困っている時に手伝ったり、話を聞いたり)

あと印刷室の整理整頓など。
コピー用紙の補充や、シュレッダー周辺の掃除は、印刷待ちの間にササっとできますしね。

それが「貢献」になっていたかは、正直分かりません。
目に見えるところでしてたわけでもないので、周囲からどう見えていたかも、分かりません。
でもやれることを、自分なりに考えてやっていました。

頼めることは、子どもたちの力も借りていました。
やっぱりその都度「ありがとう」です。
子どもたちだって、大切な「時間」をあなたの為に使ってくれているんですからね。

あなたの背中を、子どもたちは見てますよ。


そんな風に「助けてもらっていいんだ」のマインドに変わったことで、
クラスの子どもたちにも変化が起こりました。

助け合うことが当たり前になったのです。

分からない所は隣の子に聞いてみる。
困っていたら「どうしたの?」って声をかける。
忘れ物をしてオドオドしている子に「忘れました、って先生に言いに行けばいいよ」
と声をかけてくれた子もいたっけ。

そういった行為を、大人の側は「自分ではできない子になってしまう」
そう捉えていることがないでしょうか。
ホントにそうでしょうか?

少なくとも私が関わった子たちは、誰かがやってくれるまでずーっと待っているような、そんな子になることはありませんした。
どちらかというと、温かい子に育って行きましたよ。
みんな、出来ることとできない事がある。それを助けてあげるのは普通なことだ。
そんな考え方ができるようになっていきました。
傍で見ていて鳥肌立ちそうな程、立派でした。

頼って良いんです。助けてもらって良いんです。



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