「だって、黄身の中まで火を入れたいでしょ?だから水を入れて、蒸し焼きにするんだよ」
夫が朝ごはんにベーコンエッグを焼いてくれていた。私はというと、今朝のおひとりさまタイムを息子達に邪魔されて、怒って部屋に籠っていた。代わりに支度をしてくれていたのだ。
彼はそんなに料理をしないけれど、させたら上手い。少しかためにうどんを煮るのも、今朝のように目玉焼きの黄身に程よく火を通すのも、私より上手。
一応、大学で栄養士の免許を取った身なので、料理って科学なんだよね、と私は心得ている。
例えばゆで卵を作るとき、白身と黄身で固まる速さが異なる。タンパク質の性質が違うから、固まりだす温度が違うのだ。それをうまく使えば、半熟卵や温泉卵を作ることができる。…知識としては知っているけど、私の日々のご飯づくりには、残念ながら学んだ知識は生かされていない。
その点、夫もそうだし、男性の料理は頭を使ってやっているなあと思う。お料理は論理的でもある。原因と結果がハッキリしている。有名な料理人に男性が多いのは、体力勝負な面もそうだけど、ロジカルな思考が男性に得意なのも、関係してるんじゃないかな。
毎日作る私の適当目玉焼きより、数段美味しそうな今日のベーコンエッグ。
すごいなあ。
ぼそっと呟いたのが聞こえたのか、なんとなく夫の醸し出す雰囲気がいつもと違う。のそのそと箸を動かす長男に、今朝は「早くしなさい」と叱らない。私が話しかけても、余裕を持った口振りで相槌を打ってくれる(普段は、出勤まで急いでるから話しかけないで!のオーラ)
無口で感情も露わにしない夫は、考えていることが分かりづらい。でも今日の様子から察するに、「嬉しかったんだな」そう分析してみた。
夫を立てて、褒める。時代錯誤と言われればそうかもしれないけど、されて嬉しいならしてあげればいい。そう考えている。
でも記憶が確かなら、次男の出産後から、私は彼を立てて褒めることを、全くしてこなかった。
私達夫婦のパートナーシップがその頃からずっとおかしかった。故郷を離れて引っ越しまでしたのに、離婚して沖縄に帰ろうか。そんなことまで一時期は考えていた。産後クライシスってやつだ。
産後、心身ともただでさえ大変なのに、夫が引越しについてどんどん決めていってしまう。長男の保育園では年長さんのイベントが目白押しで、それを楽しみにしてたのにさっさと茨城に来させろという。今思えば、夫なりに長男を思いやっての行動だったと読み取れるけど、産後半年の私はとにかくガルガルしていた。夫さえも、安全を脅かす敵!と捉えていた。
その後、かなり夫婦喧嘩をして、お互いにボロボロになり。ほとほりが冷めた頃に自分の落ち度に気がづいた。被害者ぶってばかりいないで、少しずつ自分が変わろう、彼を理解し直そうと努力していた。
そんな折に、家族で川遊びをする機会があった。
テレビで飛び石を見ていた長男が、ぼくもやる!と河原の石を拾って川に投げる。
普通に上かぶりで投げるので、石はぴょんぴょん跳ねていかない。あれー?と長男ががっかりした顔を見せる。
「こうやって投げるんだよ」夫がスライダーを投げるように、スッと横投げで石を放る。
ぴょん、ぴょん、ぴょん…石が水面を跳ねるように飛んでいく。「え!お父さん!石、めっちゃ跳んでる!すごーい!」興奮した長男が、大声で叫ぶ。
多分7、8回は跳ねた。つられて私も声が出る。「ほんと、お父さん、すごいねー!」
彼が笑う。
長らく見た記憶がない、心から嬉しいんだなってわかる顔をしている。
ああ、こんな顔で笑う人だったな。
私一人だけ、時が止まったように動けなくなった。そうだ、彼は何年も前から、それこそ結婚する前よりずっと前から、たくさん私に愛情を注いでくれていたんだよな。
実は私も飛び石投げができた。2、3回跳ねたから、あと何回かやれば、ソフトボール部だった頃の感覚が戻って来て、ぴょんぴょん投げられそうだった。
けどなんとなくやめた。代わりに左手に石を持って、こっちでもいけるかな?と投げる練習を始める。
夫を立てるなんて今時古いんだろうか。でも彼が嬉しそうだったんだもの。
もう少し、彼が主人公になれる時間を作ろう。そのほうがきっと、家庭平和に繋がるから。
「うわー!お母さん!お父さんの石、今度は川の向こうまで跳んでったよー!」長男の声が、広い川辺にこだましている。
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